(右2枚/大坊本行寺HPよりお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 本堂−→ご臨終の間−→庭園−→御会式桜−→客殿・庫裡(寺務所)−→鶴林殿 >> ● 本堂 鎌倉幕府の作事奉行・池上右衛門大夫宗仲が日蓮聖人ご入滅の後、寄進し寺を建立、「長崇山 本行寺」と称しました。 その本堂は、昭和56年(1981年)に聖人七百遠忌記念事業として、大改築されました。 ● ご臨終の間(ごりんじゅうのま) 日蓮聖人がご入滅になられたお部屋の跡に建てられたお堂。 昭和11年(1936年)に東京都の史跡に指定されました。 大聖人が滞在中に寄りかかって「立正安国論」を講義された「お寄り掛りの柱」の一部に触れてい ただくことができます。 日蓮聖人入滅の旧跡(東京都指定旧跡 所在地 大田区池上2-10-5) 標識 昭和11年3月4日 指定 昭和30年3月28日 日蓮上人(聖人 1222-1282)は、日蓮宗の開祖であり、「立正安国論」等の著作で知られて います。 日蓮は、文永11年(1274)に鎌倉を去り、甲斐国身延山に宗教活動の場を移していましたが、 弘安5年(1282)、病の悪化により常陸国へ湯治療養へ向かう途中、武蔵国千束郡池上右衛 門大夫宗仲の館(減本行寺境内)で示寂しました。 なお、病中の日蓮が、身延山を発って池上の地へ移ったのは、法華経を説いた釈尊が霊鷲 山(りょうじゅせん)から艮(うしとら)、すなわち北東の方角に当たる純陀の家で入滅した故事 にならったとする説もあります。 池上宗仲夫妻坐像(非公開 大田区文化財) 寄木造、彫眼(ちょうがん)、像高各約21センチ。 本像の寄進者は丹波屋半兵衛、開眼の導師は身延山久遠寺33世日了(にちこう)で、正徳4 年(1714)に造られたことが、台座の銘文によってわかる。 よく祖型を残し、後補された様子もなく、小型ながら肖像彫刻として極めて精巧なものである 体内には墨や金泥で記した曼荼羅本尊等の小紙片が納められているが筆者は不詳である 宗仲夫妻は日蓮の大檀越(だいだんおつ 篤信者)であり、日蓮が夫妻の屋敷で入滅したの は有名である。 昭和50年3月19日指定 大田区教育委員会 * (日蓮聖人入滅の旧跡)・・・(池上宗仲夫妻坐像/非公開) ● 裏手に広がる庭園 ● 御会式桜 弘安5年10月13日 日蓮大聖人が御入滅の折 庭先の桜が時ならぬ花を咲かせたと伝えられて おり 現在の旧暦10月頃には花を咲かせます 御会式の万灯に桜の花を飾るのはこの故事に由来しています ● 客殿・庫裡(寺務所) 法要控室、各種会合、茶室などもあり、檀信徒の方々が利用できます。 ● 鶴林殿(かくりんでん) 正面左側 開基池上宗仲公第七百遠忌事業として建立。 日蓮宗檀信徒のご葬儀、法要をはじめ、仏前結婚式、お茶会、各種会合など広く利用できます。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |