(3)西ゾーン

      


               (W6)前川國男邸・・(W9)小出邸・・(W10)デ・ラランデ邸


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  ● (W6)前川國男邸(まえかわくにおてい)
            建築年代:1942年(昭和17)  所在地:品川区上大崎三丁目
            寄贈者:前川紘一氏 前川悠二氏
        前川國男邸は、品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅である。
        この建物は前田國男建築事務所によって設計され、戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期
        に竣工した。
        外観は切妻の和風、内部は吹抜けの居間(サロン)を中心に寝室・書斎を配したシンプルな間取りに
        なっている。
        前川國男(1905〜1986)は、東京文化会館(1961)、東京都美術館(1975)をはじめ公共建築を中心
        に多くの作品を残し、日本の近代建築の発展に大きく貢献した。
        前川國男邸は、1973年(昭和48)に解体され、部材として保管されていた。
        今回の復元では外観は1956年(昭和31)に改修される前の姿に戻し、内部は昭和30年代の様子を
        再現している。

               


      (玄関)

                      


      (書斎)

                         


      (居間)

                             

 
                  


      (寝室)

                         


      (台所)

                         


      (風呂・トイレ)

                                      




  ● (W9)小出邸(こいでてい)
            建築年代:1925年(大正14)  旧所在地:文京区西片二丁目
            寄贈者:大山みどり氏 小出剛史氏
        小出邸は、現在の文京区西片に1925年(大正14)に建てられた住宅である。
        外観は、瓦葺き・急勾配の宝形屋根と水平に張り出した軒に特徴がある。
        また建物は、当初から敷地の境界線に平行ではなく、ほぼ東西南北に合わせて配置されている。
        内部は、水回り、建具の改築以外に大規模な増改築は行われず、ほぼ創建当時の姿をとどめて
        いる。 特に、応接間の家具は建物に合わせて設計されている。
        小出邸は、施主である小出収氏(1865〜1945)からのちも、家族によって大切に住み続けられ、
        1996年(平成8)まで使われていた。
        この住宅は、大正から昭和に渡って活躍した建築家堀口捨巳(1895〜1984)の30歳の作品であり
        1921年(大正10)に開催された平和記念東京博覧会の作品を除くと、本作品が処女作になる。

       


      (玄関)

                       


      (応接室)

                  


      (食堂・茶の間・寝室)

                  


      (台所・風呂)

                  


      (階段)

                         


      (二階/八畳・六畳)

                  



  ● (W10)デ・ラランデ邸(で・ららんでてい)
            建築年代:1910年(明治43)ころ  旧所在地:東京都新宿区信濃町
            寄贈者:三島食品工業株式会社
        デ・ラランデ邸は、新宿区信濃町にあった西洋式住宅である。
        1階部分は明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎が自邸として設計したと伝えられる木
        造平屋建て・瓦葺き・寄棟屋根・下見坂張りの洋館であった。
        1919年(明治43)ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、木造3階建ての住宅として大
        規模に増築された。
        その際、北尾次郎居往時の1階部分も大改造されている。
        スレート葺きのマンサード屋根と、下見板張りの外壁が特徴である。
        デ・ラランデは、この住宅で、妻と4女・1男の7人家族で生活していたが、1914年(大正3)に41歳で
        無く亡くなった。
        その後、この住宅の居住者は何度か変わったが、1956年(昭和31)から、乳酸菌飲料カルピスの
        発明者として知られる三島海雲氏が住んでいた。
        海雲氏の死後は、三島食品工業株式会社の事務所として、1999年(平成11)まで使用されていた。
        建物は、デ・ラランデが住んでいた大正時代初期ころを想定して復元している。

               


                          


                             


      (1階)

                      


                  


                  


                              


      (2階)

                             


    * (主寝室)

                  



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                               ● (入口へ) ●

 

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