(7)屋外展示物・東ゾーン

       


          (23)石造り常夜灯・・(E1)天明家・・(E11)村上精華堂・・(28)都電7500形


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  ● (23)石造り常夜灯 

                                   



  ● (E1)天明家(農家/てんみょうけ)[旧武蔵野郷土館収集]
           建築年:江戸時代後期   旧所在地:大田区鵜の木1丁目   寄贈者:天明茂光氏
         天明家は、代々、鵜ノ木村(現在の大田区内)で村役人の年寄役を勤めたと伝えられる旧家であ
         る。ここに移築したのは、約1万平方メートルの広大な敷地内にあった庭園を含む主屋と長屋門
         それに飼葉小屋である。
         正面に千鳥破風(ちどりはふ)をもつことを特徴とする広い主屋には、書院をはじめ、各所で増改
         築が施されている。
         また、長屋門という側面に部屋をもつ門、書院前の枯山水(石や木などで川や滝などの水の表
         情を示す庭)、農作業などに使用された主屋前の広い庭などから農家としての高い格式がうか
         がえます。


             


                     


                  


    (長屋門)

                          


       * (主屋方面から)

                  



              


    (主屋)

                  


                  


                  



  ● (E11)村上精華堂(むらかみせいかどう)
            建築年:1928年(昭和3)    旧所在地:台東区池之端2丁目
            寄贈者:増渕忠男氏(日増屋)   協力者:村上かん氏
         台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。
         奥の土間で化粧品の製造を行い、卸売りや、時には小売りを行っていた。
         創業者の村上直三郎氏は、アメリカの文献を研究して化粧品を作ったと言われている。
         そのせいか、建物はイオニア式の柱を並べたファサードをもち、西洋風のつくりとなっている。
         この建物は関東大震災後、東京市内に多く建てられた「看板建築」の一種で人造石洗い出し仕
         上げである。
         1942年(昭和17)頃、村上精華堂の本店が浅草向柳原に移り、この建物は支店となった。
         1955年(昭和30年)頃には化粧品屋としては使われなくなり、1967年(昭和42)、二代目の村上専
         次郎氏より、寄贈者の増渕忠男氏に譲渡された。

                 


                  


               


                  


       看板建築とイオニア式の柱
         「看板建築」の大きな見所は、大胆な和洋折衷と個性あふれるファサード(建物の正立面)である
         村上精華堂もまた、洋風のファサードに、寄棟造り桟瓦葺きの和風屋根および3階バルコニーの
         意匠といった組み合わせが和洋折衷の性格を示している。
         村上精華堂の外観は、イオニア式柱を並べたファサードがきわめて特徴的である。
         西洋建築の初源であるギリシャ・ローマ建築では「オーダー」と呼ばれる構成原理に基づいて建
         築物がつくられた。
         オーダーの種類は大きく分けて3つの種類(ドリス式・イオニア式・コリント式)があり、イオニア式
         オーダーは渦巻き型の柱頭が特徴である。
         こうしたオーダーは明治期以来、正規の教育を受けた建築家たちが、こぞって作品に用いたもの
         であるが、村山精華堂のような看板建築に見られる例は珍しい。
         柱の間隔や、プロポーション、素材などの点において、本格的な西洋建築の意匠とはかなり差異
         があるが、そのことがむしろ自由な創造意欲の現れとして、建物にユニークな魅力を与えている
       イオニア式の柱
         ギリシャ・ローマ建築のイオニア式柱を模して造られたもの。
         木造に人造石洗い出し仕上げとしている。

        


      化粧の歴史
         日本では、化粧は古代から、身分の高い女性が行う特殊なものであった。
         化粧は身分を表す表徴として、中世以降だんだんと武家の中にも広まっていった。
         江戸時代になると、都市の住民の間では唇に紅を指し、眉毛を剃り白粉を塗る化粧が広がる。
         特に結婚した女性が歯を黒く染める「お歯黒」は、江戸時代後半には一般的な常識として広まっ
         ていた。
         明治時代になると、それまでのお歯黒、眉剃りなどは政府の指導により廃止の方向となった。
         ここには欧米人から見た「野蛮」というイメージと、欧化政策をとる明治政府の意向が働いてい
         た。
         ただ、明治時代には、江戸時代と同じく、和装で日本髪を結い、結婚したあとはお歯黒をする女
         性が多かったようである。
         本格的に西洋文化が広まり、西洋風の化粧と化粧品が輸入されるのは20世紀に入ってからで
         ある香水、クリーム、口紅(スティック状)などが輸入されるのと相前後して、その製法も伝えられ
         日本国内でもつぎつぎと化粧品が製造販売されるようになった。
         昭和に入ると、モボ・モガが銀座をかっぽし、断髪、そしてパーマが最先端の流行となる。
         化粧品製造は、当時薬事法の適用外であったためか、多くの会社が製造していた。
         村上請華堂もそうした会社の一つである。
         第2次世界大戦中は、原料が入手しにくく、時代の風潮もあり、化粧品業界にとっては冬の時代
         であった。
         戦後しばらくは多くの会社が化粧品を製造していたが段々と中小の化粧品屋は姿を消していった
      村上精華堂での化粧品販売
         「村上精華堂」では、どのような化粧品を製造していたのであろうか。
         「東京小間物化粧品商報」によれば、1932年(昭和7)当時、製造していた化粧品は、ポマード、
         香油、バニシングクリーム、コールドクリームなどで「バミール」や「志のぶ」などの商標が商品
         名の頭についていた。
         例えば「パミールコールドクリーム」の値段は、1個80銭(小売り価格)であった。
         戦前は小売りもしていたが、中心は卸売りで一斗缶やガラス瓶に詰めた化粧品を出荷していた
         小売りの場合、香油類や香水は入口右手の板の間で量り売りをしていた。
         また、大きな香水瓶をサンプルとして店先のケースに展示していた。
      化粧品の作り方
         昭和初期の村上精華堂では、小規模ながら、化粧品の製造から卸売り・小売りまで、幅広く行っ
         ていた。
         当時は、化粧品の種類も少なく、工程もそれほど複雑ではなく製造には一般の調理器具を使っ
         ていた。

    * (化粧の歴史)・・・(化粧品販売)・・・(化粧品の作り方)

                                      


                          


      村上精華堂の香水瓶
         村上専次郎氏の娘さんが、所蔵していた見本用の大きな香水瓶。
      昭和初期の化粧瓶
         当時の化粧瓶は、欧米のものをモデルに作られたが、中小の化粧品屋は、ガラス瓶を瓶屋から
         購入してラベルを貼り利用した。

    * (村上精華堂の香水瓶)(昭和初期の化粧瓶)

                       



  ● (28)都電7500形
            製造年1962年(昭和37)所属営業所    青山営業所→柳島営業所→荒川営業所
         渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車輌です。
         交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて、1972年(昭和47)から順次廃止されま
         した。

          


                  



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