![]() ![]() (画像をクリックすると、大きくなります) << 山内一豊と千代婚礼の地モニュメント−→冠木門(かぶきもん) −→板垣退助像−→ −→岐阜市歴史博物館−→信長の庭−→オガタマの木 >> <<岐阜公園>> 金華山のふもとにあり、戦国時代の岐阜城主であった斎藤道三や織田信長の居館があったとさ れる場所です。 信長の庭をはじめ信長居館跡、冠木門、岐阜市歴史博物館、加藤栄三・東一記念美術館、立礼 茶室華松軒、名和昆虫博物館等多くの施設があります。 また織田信長居館跡についての発掘調査がすすめられています。 ● 山内一豊と千代婚礼の地モニュメント 千代の鏡と一豊の出世 千代が一豊に嫁ぐ際 「夫の大事に初めて之を使うように」と言い含められ 鏡箱に金十枚を 忍ばせ持参した。 貧しい暮らしながらも 千代は決して その隠し金を使わなかった ある日 市に出された名馬に 一豊は釘付けになる 値は誰も手が出ない金十枚千代は隠 し金を一豊に差し出し ついに一豊は名馬を手に入れる。 信長家臣が競う馬揃えの晴れ舞台 信長から名馬とその心構えを讃えられ 一豊は出世を 掴む事になる。 ![]() ![]() ![]() 山内一豊と千代 婚礼の地 永禄10年(1567)9月18日 織田信長が岐阜に本拠を移したとき 下級武士である山内一豊も岐阜に移りました 岐阜城亜い居を構えた一豊は 時をおかず千代を迎え 新婚生活を始めました 婚礼の日 「一国の主になる夢を二人で叶えましょう」 「生涯私だけを愛してください」 と誓いを交わし その後 一豊は長浜・掛川・土佐の国主へと出世していきました 千代と長良川 長良川上流に位置する郡上八幡では 千代は初代郡上八幡城主の娘といわれています 水のまち郡上で育った千代は 幼少期に父親を亡くし 母親と共に各地を流転しました やがて一豊との縁が結ばれ 岐阜長良川の地に嫁いできました ひと雫から渓流へ 滔々たる流れから大海へ 千代の足跡を辿れば まさに長良川そのものといえます 千代の心奥深くで輝き続けた美しく優しく時に厳しい長良川 一豊にそそいだ千代の愛 それは長良川から授かった清流のひと雫だったのかもしれません ![]() ![]() ● 冠木門(かぶきもん) 2本の門柱の上の方に、冠木とよぶ横木を貫いてわたした形式の門。 千畳敷の発掘調査では門の跡が発見されたことはなく、その位置・形は不明であるが、織田信長 居館跡の整備にあたって、岐阜城主の館が建てられていたころの雰囲気を伝えるため往時の姿 を想定した門を設置して史跡への入口とした。 ![]() ![]() ![]() ● 板垣退助像 板垣退助遭難の地 明治15年4月6日午後1時、時の自由党総理板垣退助が中教院にて演説を行う。 参会者百余名、夕刻板垣総理すべてを終え玄関から数歩出るや「国賊」と叫んで相原尚けい が総理の胸を刺す。 総理「板垣死すとも自由は死せず」と有名な言葉を残したのである。 即ち板垣総理遭難の地である。 岐阜市 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ● 岐阜市歴史博物館 岐阜市の歴史と文化を紹介する博物館です。 総合展示室では、岐阜の原始時代から現代までの歴史を紹介し、特に斉藤道三や織田信長が 活躍した戦国時代にスポットをあてています 年に数回特別展も開催され、多くの文化財が紹介されています。 開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで) 入館料 総合展示 大人300円 小人(小中学生)150円 特別展 その都度決定した料金 休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日) 祝日の翌日・年末年始(12/28〜1/3) ![]() ![]() ● 信長の庭 天下統一を夢見た信長をイメージして作られた庭で、巨木や長良川流域の巨大な石を使った石庭、 当時の石組みの技法を用いて「剛」「静」「雅」の3つの滝と池からなる日本庭園です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() オガタマの木 モクレン科 御賀玉樹 別名トキワコブシ オガタマの木は昔、神事に使われました。 今でも神社仏閣の境内に植えられた木が残っていますが、これだけ太いオガタマの木は他では 見られない貴重木です。 樹齢推定 200年 ![]() ![]() (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |