(画像をクリックすると、大きくなります) << 天下第一の門−→上格子門跡−→馬場跡−→一ツ葉の句碑−→ −→刀利天狗の祠−→千成瓢箪発祥の地−→二の丸門跡 >> ● 岐阜城に向かうと、すぐ二股になり、どちらからでも「二の丸門」へ行くことができます。 左の階段を登ると展望レストラン経由です。 ● 右側の道は、すぐ「天下第一の門」です。 天下第一の門 永禄10年9月初日、稲葉山城を攻め落とした織田信長は、直ちに尾張国から美濃国に本拠を 移した。 稲葉山の城郭を再建するとともに城下町の井ノ口を岐阜と改名し、楽市楽座の継続を認める など美濃国の繁栄を図った。 信長は「天下布武/てんかふぶ」の朱印を用い、岐阜城が天下統一へ踏み出す城となった。 信長の大志を讃えてここに冠木門(かぶきもん)を建て、その偉業を伝える。 岐阜市 ● 階段を登っていくと、「上格子門跡/あげこうしもんあと」があります。 上格子門跡 城下の大手門から急坂な大手道(七曲道)を上ってきたここに「上格子門」が建っていた。 東(右手)に大きな岩塊、西(左手)には切り立った岩壁がそびえたち、頂に七間櫓が築かれ ていた要害の場所である。 関ヶ原合戦の前哨戦となった慶長5年(1600)8月23日の岐阜城攻略戦では、攻めのぼって きた東軍の福島正則らの軍兵と岐阜城主織田秀信軍の将兵が、この門をめぐって激しく激 しく戦った。 ● 休憩所を通過。 ● 掲示板「岐阜城歴代城主 やま道ギャラリ−」 * (岐阜城歴代城主)・・・(やま道ギャラリ−) ● 馬場跡 岐阜城の郭内では唯一の平坦な土地で、上格子門から幅3間(5.4m)、長さ30間(54m)続いている 元禄年間と推定される岐阜城絵図の「馬場跡」に位置している。 岐阜城に詰めていた将兵が馬を繋いでいた場所とか、乗馬の訓練をした所とか言われる。 一説には馬場ではなく、矢場であるとも言う。 岐阜市 ● 一ツ葉の句碑(松尾芭蕉) 夏来てもたゞひとつ葉の一葉哉 金華山に自生するヒトツバの可憐な姿に、松尾芭蕉自身の孤独な境地を託した句です。 夏には多くの植物が葉を茂らせますが、ヒトツバはシダの仲間なので1年を通じて1本の茎に 1枚の葉しかつけません。 * (一ツ葉の句碑) ● すぐ分岐に。 (←レストラン方面 ↑岐阜城 東坂下山道→) * (←レストラン方面)・・・(↑岐阜城方面)・・・(東出下山道→) ● 再び分岐に。 (←レストラン方面 ↑刀利天狗 岐阜城→) * (←レストラン方面)・・・(↑刀利天狗方面)・・・(岐阜城方面→) ● 刀利天狗の祠は階段を登ってすぐです。 * (刀利天狗) ● 刀利天狗の祠の階段脇に、説明版「木下藤吉郎と千成瓢箪」が。 千成瓢箪発祥の地 永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や 山麓の猟師堀尾茂助など僅か7名を従えて、岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋 に火を放って手柄をたてたと伝えられている。 この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先の腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しなが ら大音声で勝閧をあげたという。 以来、千成瓢箪発祥の地とされている。 岐阜市 ● 二の丸門跡を入ります。 天守台にそびえ建つ天守閣の南西一段下に二の丸が築かれ、さらに一段下に二の丸門が建って いた。 周囲を石垣で高く積みあげ、守りを固めている。 関ヶ原前哨戦となった慶長5年(1600)8月23日の岐阜城攻略戦では、二の丸門で激戦が繰り ひろげられた。 この時、門内にあった煙硝蔵に火がついて大爆発し、夜空をこがした火災が美濃・尾張国内に岐 阜城の落城を知らしめるところとなった。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |