御主殿へは徒歩約15分、山頂の要害地区へは徒歩約40分 (画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 会所−→塀跡−→敷石通路−→舶載磁器集中出土域−→道路状遺構−→建物跡−→ −→御主殿の滝−→曳橋の下をくぐり、城山川沿いを駐車場に >> ● 会所 会所は主殿で儀式を終えた後、宴会などを行った場所と考えられます。 広さは11間×6間(20.9m×13.3m)で、北側が主殿と廊下でつながっています。 会所の北東には庭園が造られています。 会所は、同時代の他の建物の例などを参考に床を再現しています。 ● 塀跡 土色に舗装した部分が塀の範囲を示しています。 発掘調査では、礎石を狭間石の石列が検出されました。 礎石に柱の痕跡が認められたものが3ヶ所ありました。 いずれも5.5寸(約17cm)の方形でした。 この塀は、会所の前面が見えないように作られたものと思われます。 ● 敷石通路 会所の建物に沿って幅4.2m、長さ19.2mの範囲に石が敷かれています。 敷石通路には2本の溝を伴っています。 北側の溝は会所の雨落溝(あまおとみぞ)と考えられますが、南側の溝の性格は不明です。 この敷石通路は会所に伴うもので、何らかの儀式に使われたものと思われます。 ● 舶載磁器集中出土域(はくさいじきしゅうちゅうしゅつどいき) 東西約7.5m、南北約4mの範囲に、約34,000点以上の遺物が集中して出土しました。 ほとんどが焼き物の細かい破片でした。 舶載磁器とは主に中国で焼かれた磁器で、青花や白磁の皿や碗などです。 焼き物のほかには、銭、鉄釘なども出土しています。 この遺構の性格は不明です。 ● 道路状遺構 ここの道路状遺構は幅が約3.2m、確認された長さは15mで、南西側の調査区外へと続いています。 北東側と南東側はそれぞれ石囲い水路に、北西側は石列によって区画されています。 路面は平坦ですが、突き固めている様子は見られませんでした。 ● 建物跡 ● 御主殿の滝に向かいます。 ● 御主殿の滝 天正18年(1590)6月23日の豊臣秀吉の軍勢による攻撃で落城した際に、御主殿にいた女性や子ども、 将兵たちが滝の上で自刃をし、次々と身を投じたといわれています。 その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まったとの言い伝えが残っています。 コラム 氏照の暮らしぶり 戦国時代はいつも合戦とその準備をしていたイメージがありますが、八王子城から出土した遺 構・遺物から見てみると、そのイメージとは程遠いものです。 中国から輸入された五彩で華やかなお皿で、領国内から取れたアワビやサザエなどを食べた り、ベネチアで作られたレースガラス器や信楽焼きの花器を飾り、そのもとでお茶を楽しみ、枯 山水の庭を眺めてお酒を飲んだ日々が思い浮かばれます。 これらの品々は、さぞ北条氏照の心を和ませていたのではないでしょうか。 ● 曳橋の下をくぐり、城山川沿いを駐車場に向います。 ● 朝、渡った橋を右側にみて通過。 (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |