御主殿へは徒歩約15分、山頂の要害地区へは徒歩約40分 (画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 広場・頂上の石柱−→八王子神社−→松木曲輪−→本丸跡 >> ● 標識(←富士見台 1.3km 八王子神社 44m 霊園前・八王子城跡入口バス停 2.2km) にくると、 大きなスギの大木の間から八王子神社が見えてきます。 ● 広場があり休憩所がたっています。 史跡八王子城跡 本丸周辺の曲輪 標高460mの深沢山山頂に設けられた本丸を中心に、松木曲輪、小宮曲輪などの曲輪が配置さ れた要害部は、籠城のための施設と考えられます。 急峻な地形を利用した山城は、下からは攻めにくく、上から攻撃できる守りには有利な構造とな っています。 天正18年(1590)旧暦6月23日、豊臣秀吉の命を受けた前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの軍 勢に加え、降参した北条勢を加えた数万の大軍が八王子城に押し寄せました。 一方、小田原に籠城中の城主北条氏照を欠いた留守部隊は、必死に防戦しましたが、一日で 落城してしまいました。 激戦の末、守備した北条方はもちろんのこと、攻めた豊臣方にも多くの犠牲があったようです。 (左/本丸跡)・・(中/松木曲輪)・・(右/小宮曲輪) ● 休憩所右側の標識「←小宮曲輪」に従って向かったのですが、道が雑草で覆われいたので戻りました。 ● 八王子神社への階段を登ります。 ● 八王子神社 延喜13年(913)に華厳菩薩妙行(けごんぼさつみょうこう)が、山中で修行をしている際に出現した牛頭 天王(ごずてんのう)と八人の王子に会ったことで、延喜16年(916)に八王子権現を祀ったといわれてい ます。 この伝説に基づいて、北条氏照は八王子城の築城にあたり八王子権現を城の守護神としました。 これが「八王子」の地名の起源とされています。 (左/八王子神社の左側)・・(右/八王子神社・・2006.07.11) ● 八王子神社の横にある小さな社 落城寸前に奥多摩へ落ち延びた横地監物が祀られています。 もともと、東京都奥多摩町にありましたが、ダム建設で湖底に沈んでしまうためにここに移しました。 ● 大天狗の石像 戦国時代、武将たちは不動明王を本地仏とする飯縄権現(いづなごんげん)を信仰しました。 関東では北条氏が飯縄権現を祀る高尾山を篤く庇護。 飯縄権現は烏天狗(からすてんぐ。小天狗)の姿をし、大天狗とともに信仰されました。 ● 舞台(左/2006.07.11 右/2020.11.05) ● 舞台右側から「松木曲輪方面」へ。 ● 標識(←富士見台1.2km 霊園前・八王子城跡入口バス停2.3km→) 富士見台方面へ少しいくとトイレがあります。 ● 標識(←松木曲輪) ● 松木曲輪 中山勘解由家範(なかやまかげゆいえのり)が守っていたといわれている曲輪です。 中の丸とも二の丸とも呼ばれていました。 近くには、「坎井/かんせい」と呼ばれる井戸があります。 天正18年(1590)6月23日に前田利家の軍勢と奮戦しましたが、多勢に無勢で防ぎきれなかったといわ れています。 この時の家範の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、その遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老にま でなりました。 コラム 山上からの眺望 ここからは、高尾山方面を一望することができ、晴れていれば富士山が見えることがあります。 さらに八王子神社から階段を降りた先のちょっとひらけたところからの眺望はなかなかです。 八王子市内が一望でき、冬の空気の澄んだ晴れた日には新宿新都心や池袋のサンシャイン ビルまで見ることができます。 八王子城の古絵図の銅板パネル。「慶安元年七月七日見之図 武州八王子古城之図」 (中/八王子城跡碑)・・(右/八王子神社碑1) ● 神社の右側階段を登り、標識(←本丸)に従って登っていきます。 ● 本丸跡 城の中心で、最も重要な曲輪です。 平地があまり広くないので、大きな建物はなかったと考えられています。 ここは、横地監物(よこちけんもつ)吉信が守っていたといわれています。 コラム 八王子神社と横地社 延喜13年(913)に華厳菩薩妙行(けごんぼさつみょうこう)が、山中で修行をしている際に出現 した牛頭天王(ごずてんのう)と八人の王子に会ったことで、延喜16年(916)に八王子権現を祀 ったといわれています。 この伝説に基づいて北条氏照は八王子城の築城にあたり八王子権現を城の守護神としました これが「八王子」の地名の起源とされています。 その八王子神社の横にある小さな社は、落城寸前に奥多摩へ落ち延びた横地監物が祀られ ています。 もともと東京都奥多摩町にありましたがダム建設で湖底に沈んでしまうためにここに移しました (左・中/2020.11.05・・(右/2006.07.11) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |