(画像をクリックすると、大きくなります) |
<< はの門−→石燈籠の基礎−→十字紋の鬼瓦−→にの門−→ −→ほの門−→油壁−→イノ渡櫓−→姥ヶ石 >> ● はの門手前の南方土塀の道を天守閣を正面にみながらのぼっていくと、天守閣がもうすぐだと錯覚して しまいます。 ● はの門 櫓の真ん中にある武者格子窓は、菱の門の内側を見通す警備の役割を果たし、菱の門と連動す る第二関門といわれます。 石燈籠の基礎 姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物 の基礎に転用されています。 はの門では、礎石に六角形に加工された石材が転用されています。 これは、もともと石灯籠の基礎として使用されていた石です。 ● 十字紋の鬼瓦 にの門櫓(右の二層櫓)の唐破風屋根に乗っている鬼瓦には、十字紋が彫られています。 キリシタンの名残りとか魔除けともいわれますが、日本の城では珍しい紋瓦です。 なお、この櫓の南面と東面の鬼瓦には、波しぶきが彫ってあります。 これは火除けを祈ったものと思われます。 ● にの門に向かいます。 * (振り向くと)・・・(シャガ) ● にの門 天井がかなり低く敵を通りにくくしておき、上から板をはずして槍で攻撃することができるようになっ ています。 ● ほの門に向かうと、十月桜の木が植えられています。 乾小天守(いぬいこてんしゅ)が見えます。 3小天守(東・西・北西)の1つで、天守台の北西隅(乾の方角)に位置するため、乾小天守と呼ば れます。 小天守の中では一番大きく、外観は3層で、内部は地下1階・地上4階の重厚な造りです。 * (乾小天守) ● ほの門 本丸の入り口にある門で、門の低さは、万一の場合に埋めやすく設計されています。 倒して「ほの門」をふさぐため、そばに油壁が置かれたとも伝えられます。 また、鉄砲による攻撃に耐え得るため、門の扉には鉄板が張り巡らされています。 * (ほの門を通り抜けて振り向くと) ● 油壁 ほの門から水の一門へは、一旦大きく曲がらないと到達できません。 こういう屈曲を「折れ」ともいい、城郭における防御機能の一つで、ここでは油壁を配置することで 折れが構成されています。 油壁は、版築という工法で築かれた土塀です。 型枠を組んで、その枠の内側で粘土と砂を交互に撞き固めていくもので、この工法で築かれた壁 や土塀はとても堅固なものになります。 姫路城内ではこの場所だけに版築の土塀が残っていますが、その理由も「油壁」の由来もわかっ ていません。 現在は壁土が露出していますが、もともとは白漆喰が上塗りされていたことがわかっています。 ● イノ渡櫓 ● 姥ヶ石(うばがいし) 石垣の上方に欠けた石臼が間詰め石として積まれています。 これを「姥ヶ石」と呼んでいます。 羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していました。 城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんがそのことを聞き、使っていた石臼を寄付しました。 秀吉は喜んで石臼を石垣に使いました。 この評判はすぐに広まり、国中からたくさんの石が寄付され、築城工事は急速に進み、立派に完 成したというのです。 「姥ヶ石」が積まれている石垣は、池田輝政が築いたものなので、この話は伝説です。 そのほかに、「姥ヶ石」には、お婆さん(姥)は妊娠しない(孕まない)ことにかけて、石垣も孕まない ようにとのお呪いで積まれたという説もあります。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |