(3)鐘楼→日樹聖人の五輪塔

                                  


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   ● 鐘楼

                  


                  


   ● 梵鐘 (大田区文化財)
           青銅製鋳造 総高225センチ
        聖徳4年(1714)、紀州粉州(粉河)の鋳物師木村将監安成によって改鋳されたものである。
        宝永7年(1710)の火災により旧鐘が損傷し改鋳したと伝えられる。
        旧鐘の銘文が再刻されており、正保4年(1647)、瑤林院(ようりんいん 紀州徳川頼宜の室、加藤清
        正の娘あま)によって寄進されたことが知れる。
        昭和20年(1945)4月の空襲で一部に亀裂と歪みを生じ、現在は鐘楼脇に保管されているが、江戸
        時代初期の形式を示す作品であるとともに、旧鐘の銘文が再刻されていることも貴重である。
                        昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会

                       


   ● 柄香炉 (大田区文化財 非公開)
           桧材、黒漆塗、彩色 全長34センチ
        大きくうねった蓮茎の柄の先端に、蓮華や蓮実を優美に刻んで香炉型を現し、また柄の中央にも未
        開蓮華(つぼみ)が刻まれている。
        鎌倉時代(13世紀後半)の制作と考えられる。
        香炉は人の世を清浄にするため香をたく器であるが、この柄香炉は木製で、実用仏具ではない。
        日蓮の所持と伝えられるが、おそらく日蓮または高僧の肖像彫刻に付属していたものと考えられる
                      昭和50年3月19日 指定  大田区教育委員会
   ● 古文書 (池上本門寺文書/非公開 大田区文化財)
           主に紙本墨書   軸装あるいは卷子装 116点
        池上本門寺は、昭和20年(1945)4月の空襲で全山焼失し、多くの文化遺産を失った。
        什宝として伝世していた文書群のうち辛うじて運び出された史料が現存する古文書群となっている
        このうち国指定1点、東京都指定5点を除き区指定文化財となっている。
        現代的には中世から近世前期のものが大半を占め、池上本門寺を中心とする日蓮宗教団の歴史
        を知るうえで、貴重な史料である。   昭和50年3月19日 指定 大田区教育委員会

   ● 一切経版本 (天海版 非公開 大田区文化財)
           紙本・折本装版本
        天海(1536ー1643)が開版した一切経で、朝鮮から伝来した木彫活字による印刷技術で開版した
        わが国最初の刊本一切経であり、近世初頭の出版事業の遺品として注目される。
        徳川家康の33回忌供養のため改版され、寛永14年(1637)に着手、天海の死後5年目の慶安元年
        (1648)に完成した。
        池上本門寺に伝存するものは、永昌院(松平讃岐守の宝)が寄進したものと伝えられる。
                       昭和51年2月25日 指定  大田区教育委員会

              


   ● 法華経 (紺紙金泥写経 非公開  大田区文化財)
           紙本金字 卷子装 一巻
        大堂に安置される日蓮聖人座像(国重要文化財)が捧持していた教典である。
        法華経は八卷本であるが、第六卷のみが現存し、他の七卷は戦災により焼失した。
        全十八紙からなり、その書体から第一・二紙は江戸時代の書写、第三〜六紙は室町時代、第七紙
        以降は平安時代末期頃のものと考えられる。
        巻頭の金泥書から承応3年(1654)に池上本門寺十八世日耀によって補修されたことが知れる。
                       昭和50年3月19日 指定   大田区教育委員会
   ● 日輪聖人坐像 (非公開 大田区文化財)
           桧材寄木造、彩色、玉眼 像高43.6センチ
        池上本門寺三世日輪の彫像で、大堂(祖師堂)内陣の日蓮聖人坐像(国重要文化財)に向かって右
        側の厨子内に安置」されている。
        像底には、慶安元年(1648)に寂した当寺十七世日東の署名と花押が記されていることから、それ以
        前に造立されたものと考えられる。
        江戸時代前期(17世紀前半)の典型的な肖像彫刻である。
                       昭和50年3月19日 指定  大田区教育委員会
   ● 日朗聖人坐像(非公開 大田区文化財)
           桧材寄木造、彩色、玉眼  像高45センチ
        池上本門寺二世日朗(1243-1320)の彫像で、大堂(祖師堂)内陣の日蓮聖人坐像(国重要文化財)に
        向かって左側の厨子内に安置されている。
        像容は古様でm南北朝時代(十四世紀後半)の禅宗の頂相彫刻に通じるものがあり、また顔貌も個
        性的である。
        保存状態も良く、肖像彫刻として注目すべき優品である。
                       昭和50年3月19日 指定  大田区教育委員会

              


   ● 日樹聖人(にちじゅしょうにん)の五輪塔 (大田区文化財)
        この塔は本門寺山内最大の五輪石塔で、総高4メートル、戦災による破損がいちじるしく、造立年
        記銘は見えないが、上から3段目の火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻まれている。
        したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信州に流される寛永7年(1630)より前の造立である。
        しかも、地輪をはじめ、塔の前面に数百名の奉加者の名を刻みつけてあることは、日樹とその信者
        層、ひいては江戸初期の池上本門寺外護者の実態と、不受不施史研究上、極めて有力な資料で
        ある。         昭和49年2月2日指定   大田区教育委員会

                           


   ● 手水舎

                  


                  


   * 反対側

                  


                          



   ● 大田区戦没者慰霊塔 

                             


   ● お地蔵様

                      


   ● 前田利家室層塔 (大田区文化財)
        この塔は、前田利家の側室、寿福院が、元和8年(1622)に、自身の逆修供養のために建てた11種
        の層塔である。
        このことは当寺十五世(復暦)日樹の銘文でわかる。
        寿福院は、三代加賀藩主、利常の生母で、秀吉没後、徳川家との微妙な臣従関係を解決するため
        に、江戸に差し出され、人質となった。
        現在、相輪と上部の数層を失って、わずか五重を残すのみである。
        屋蓋(おくがい)の反り具合からみて様式的に古い形を示し、注目される。
        なお天保4年(1833)の修復銘もある。   昭和49年2月2日 指定  大田区教育委員会

               



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