二の丸跡→中仕切門跡→懐古射院→南丸跡

                       


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    <<二の丸跡−→若山牧水の歌碑・貞明皇后行啓記念碑と和歌・入江為守の和歌−→
                      −→番所跡−→中仕切門跡−→鶯石−→懐古射院−→南丸跡>>

 ○ 「二の門跡」 石垣の上が 「二の丸跡」 で、若山牧水の歌碑・貞明皇后行啓記念碑と和歌・入江為守の
    和歌があります。

     ● 二の丸跡( ”白鶴城” のあった場所)
         徳川秀忠が上田の真田父子に阻まれて二十数日逗留したため、関ヶ原の合戦に間に合わず家
         康に大変叱られたといわれています。

                  


     ● 若山牧水
         明治43年(1910)9月13日から11月13日まで病気療養のため小諸本陣隣の田村医院に滞在。
         牧水26歳の頃です。
           かたわらに  秋草の花  かたるらく  ほろびしものは  なつかしきかな

     ● 貞明皇后(大正天皇の皇后)
           夏の日の  ながき日くれし  桑畑に桑きる音の  まだたえぬかな

    * (若山牧水の歌碑・画像失敗)・・・(貞明皇后行啓記念碑)・・・(貞明皇后行啓記念碑と和歌)

                         


     ● 入江為守(1868〜1936)
         明治元年京都の冷泉家に生まれる。東宮侍従長として明治天皇に仕えました。
           千久ま川  古城にそいて  いにしへを  かたりがほなる  水の音かな

                          


 ○ 番所跡」 「中仕切門跡」 「鶯石」 「懐古射院」 「南丸跡」 があります。

     ● 中仕切門跡
         全国的にみても「中仕切門」がある城は少ないそうです。
         三層で、二層目が南丸と北丸を結ぶ、渡矢倉の役目をしていました。
         長年、行方が不明でしたが、本町の笠原邸にその遺構があるのが確認されました。

    * (番所跡)・・・(中仕切門跡)

                         


     ● 鶯石
         形が鳥に似ている大きな石で、藩主が通ると鳴くとの伝説があるそうです。

                              


     ● 懐古射院
         小諸城址公園懐古園の弓道場です。
         八十年の歴史を誇る懐古射院の老朽化が進み、弓道場の全面改築がなされました。

     ● 南丸跡
       武器庫などがあったそうです。

    * (懐古射院)・・・(南丸跡)

                         



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                              ● (入口へ) ●

 

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