(5)寛永寺旧本坊表門→輪王殿

                                



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   ● 寛永寺旧本坊表門 (国指定重要文化財)   台東区上野公園14番
        江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺 の堂塔伽藍が、整然と配置されていた。
        現在の噴水池周辺(竹の台)に本尊薬師如来を奉安する根本中堂、その後方(現、東京国立博物館
        敷地内)に、本坊があり、「東叡山の山主である」輪王寺宮法親王が居住していた。
        寛永寺本坊の規模は3500坪(約1.15ヘクタール)という壮大なものであったが、慶応4年(1868)5月の
        上野戦争のため、ことごとく焼失し、表門のみ戦火を免れた。
        これはその焼け残った表門である。
        明治11年、帝国博物館(現、東京国立博物館)が開館すると、正門として使われ、関東大震災後、現
        在の本館を改築するのにともない、現在地に移建した。
        門の構造は切妻造り本瓦葺、潜門のつく薬医門である。
        薬医門とは、本柱が門の中心線上から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間上部に束をのせ、そ
        の上に切妻屋根を乗せた門をいう。
        なお、門扉には、上野戦争時の弾痕が残されていて、当時の戦闘の激しさがうかがえる。
                平成8年7月   台東区教育委員会

                  



                              



                              



          *(輪王殿方面から)

                         



                              



                         



   ● 輪王殿
        旧本坊表門を正門とし、多目的な会館として建築されました。
        使用目的に合せて前後に二つの会場を備えており、また公共の交通など利便性に優れた式場と
        して利用されています。

                  



                     



   ● 両大師由来
        當堂には寛永寺開山慈眼大師天海大僧正と大僧正が尊崇された第十八代天台座主慈恵大師良源
        大僧正を祀る
        天海大僧正は本坊内に慈恵堂を設けておられたが、やがて大僧正の入寂後に建立された、開山堂
        に慈恵大師を合祀したため「両大師」と呼ばれる様になった
        ここに、慈眼大師三百五十回の御遠忌を迎え両大師堂を始めとする寺観を一新すると共に新たに輪
        王殿を建立し、以って報恩の一端に擬するものである  平成5年10月2日 東叡山 輪王寺 寛永寺

                           



  




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                               ● (入口へ) ●


  

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