(7)清水観音堂

                                



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   ● 清水観音堂
        寛永8(1631)年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536〜1643)により建立。
        京都の清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が天海大僧正に奉納され、
        清水寺と同じ舞台作りで、初めは上野公園内の「擂鉢(すりばち)山」に建てられました。
        しかし元禄初期、今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まると、その工事に伴
        って元禄7(1694)年9月に現在地に移築され、上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建
        造物です。
        平成2年12月から文化財保存修理が行われ、平成8(1996)年10月に竣工、元禄移築時の面影を
        再現するに至る、国指定重要文化財です。

               



      



                  



      *(歌川広重 名所江戸百景 月の松)

                



    



      *(弁天堂方面から)

           



   ● 人形供養碑
        清水観音堂に安置されている子育観音は子宝に恵まれてない人々が信仰すると願いが叶うと言い
        伝えられています。
        そして子供が授かると丈夫に育つようにと人形を奉納します。
        その奉納された人形と家庭で飾ってよごれたり、子供と遊んでこわれたりした人形を秋の彼岸の終
        りにここに集めて読経のうえ荼毘に付します。
        それからの人形を回向し供養するためにこの碑が建てられたのです。    清水観音堂
            人形
              それは人の心を  明るく楽しく  豊かにし  子どもを  優しく美しく  健やかにする

                    



   ● 天海僧正毛髪塔(都指定旧跡)   台東区上野公園1番
        天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧で諡号を慈眼大師という。
        天文5年(1536)に奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。
        11歳で出家、14歳で比叡山に登り実全に師事して天台教観を学び、さらに三井寺や奈良で諸教学
        を学んだといわれる。
        のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、 川越喜多院(埼玉県川越市)などに住し、徳川家康の知
        遇を受けた。
        元和2年(1616)家康が没すると、その神格化にあたり権現号の勅許を計り、合わせて日光廟の基本
        的構想をたて造営を指導した。
        その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院の建立を進言し、寛永
        2年(1625)に寛永寺を創建した。
        寛永20年(1643)に子院の本覚院にて108歳で示寂。
        遺命により日光山に葬られ、この地(旧本覚院跡)には供養塔が建てられた。
        後に本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになった。
                   平成15年3月   台東区教育委員会 

                  



                                      




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