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<< ベンチのある休憩所−→石橋−→小島−→対岸のトイレ−→「四阿」方面へ−→四阿 ベンチのある休憩所−→水稲荷神社方面出入口方面へ−→途中のベンチの場所を左に下りる−→ −→飛び石−→対岸のトイレの下の道にでます 途中のベンチの場所を直進−→水稲荷神社方面出入口−→堀部武庸加功遺跡之碑 >> ● ベンチのある休憩所に戻ります ● 直進すると、小島を通って対岸へ。 右の階段をのぼると、水稲荷神社方面出入口へ。 (左画像/小島を通って対岸へ)・・(中画像/ベンチのある休憩所)・・(右画像/水稲荷神社方面出入口へ) * 直進し、小島への石橋を渡っていきます。 (全景は、パノラマでご覧ください) 小島を進み石橋を渡ると、対岸のトイレのそばになります。 * トイレのそばから左側に「上池」を見ながら「四阿」方面へ進みます。 ● ベンチのある休憩所に戻ります ● 直進すると、小島を通って対岸へ。 右の階段をのぼると、水稲荷神社方面出入口へ。 (左画像/小島を通って対岸へ)・・(中画像/ベンチのある休憩所)・・(右画像/水稲荷神社方面出入口へ) * 右側の階段をのぼり、水稲荷神社方面出入口へ向うと途中にベンチがあります。 **ベンチのある場所から左に下りて行きます。 右側に小さな滝、左側に上池をみながら飛び石を渡っていくと、対岸のトイレの下の道にでます。 (左画像/上池)・・(中画像/飛び石)・・(右画像/小さな滝) (左画像/飛び石先)・・(右画像/対岸のトイレの下の道) ** ベンチのある場所を直進し、「水稲荷神社方面出入口」へ。 ● 水稲荷神社方面出入口 ● 堀部武庸加功遺跡之碑 (水稲荷神社方面出入口を出た所) 堀部武庸加功遺跡之碑 新宿区指定有形文化財 歴史資料 所在地 新宿区西早稲田3-5-43 指定年月日 平成28年3月4日 この記念碑は「忠臣蔵」における代表的説話であり、地域の伝承として知られる「高田馬場の決闘」 (元禄7年)に@おける赤穂浪士・堀部安兵衛(1670〜1703)の実績を顕彰する記念碑である。 江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫・行田久蔵が、明治43年(1910)に建立 した。 篆額(てんがく)は西園寺公望、撰文は信夫恕軒(しのぶじょけん)、書は日下部東作(くさかべとうさく) 鐫は堀部忠蔵の手になる。 また、賛助者には頭山満(とうやまみつる)・犬養毅・大隈重信・三田村鳶魚など当時の名士が名を連 ねている。 当初は茶屋町通りにある久蔵の植木園に建てられたが、昭和46年(1971)に現在地に移された。 総高は約350cmである。 この記念碑が建てられた当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし、「忠臣蔵」の再評価が 高まった時代であった。 また明治から大正にかけては全国的に建碑ブームが巻き起こり、歴史上の事象や人物に関する顕 彰運動が盛んな時代でもあった。 平成28年3月25日 新宿区教育委員会 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |