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<< 弁天池駐車場−→大谷弁財天・弁天池 >> ● 「弁天池駐車場」 に駐車しました。 ● 駐車場脇は広場で、案内版とトイレがあります。 ● 遊歩道に入ります。 ● すぐ左側の 「やまぶきの小道」 の階段をのぼると 「サービスセンター」 になります。 標識(←雑木林ホール サービスセンター) ● 直進すると、すぐ右側に標識(大谷弁天池 ひよどり山→)があり、右折し 「大谷弁天池」 にむかいます。 ● 突当り、左折すると 「こなら平方面」 右折すると 「弁天池方面」 かわせみの小道です。 右折し 「弁天池」 に向かいます。 ● 鳥居をくぐると、「大谷弁財天・弁天池」 が見えてきます。 大谷弁財天・弁天池の由来 ここは昔、武蔵国多摩郡大谷村と云い、付近に杉の大木が茂っていたことから 大杉谷戸といわ れていました。 今境内は八王子市大谷町1035番地で、大谷町日月神社の所有地です。 総面積は2500平方米 (約750坪)、うち池の部分は1400平方米(約420坪)です。 この池の水は、ひよどり山の湧水を水 源とし、堀川を下った一帯には古くから水田が開かれ、近年まで稲作が行われていました。 当地区の旧家に伝わる古文書によると、明治3年(1870年)の「武蔵多摩郡大谷村明細帳」に寛 文6年(1666年)に池の検地(測量)がなされたと記録されていることから、池の存在はかなり古いこ とになります。 元文3年(1782年)この土地の人々が、池のほとりに石殿を建て、弁財天を勧請し、五穀豊穣と生 活の安寧を祈願したものと思われ、その石殿に「大谷村日待講中」の名と年号が刻まれたものが 保存されています。 また、天明の飢饉(1782年)のときに、ここを知行していた八王子千人同心頭の荻原氏が水田灌 漑確保のために、溜池を堀り、そこに弁財天を祀ったとも云い伝えられています。 その後、寛政5年(1793年)「大谷村講中」の手によって再び石殿が建てられ、これも元文3年の ものとともに新社殿に安置されています。 このたび、多くのかたがたの貴重な浄財によって新社殿が完成しました。 まつられている弁財天には、昔日その縁日に近郷近在から多くの参詣者が訪れ、賑いを見せた ものです。 広く弁天池の恩恵を受けた水田は、時代とともに開発がすすみ、すっかり姿をかえました。 今、周辺は公園の自然と一体となって静かに明け暮れています。 どうぞ憩いのひとときごゆっくり散策してください。 平成20年7月吉日 大谷弁財天社殿再建委員会 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |