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<< 和館−→庭園−→撞球室−→煉瓦塀 >> ● 和館 洋館と結合された和館は、書院造りを基調にしています。 完成当時は建坪550坪に及び、洋館を遙かにしのぐ規模を誇っていました。 現在は、洋館同様冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残っています。 施工は大工棟梁として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられてい ます。 床の間や襖には、橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる日本画など障壁画が残っています。 今は失われた岩崎家の居住空間は、南北に分けられ、南に主人と主人部屋、子供部屋などが置 かれていました。 北には使用人部屋、台所、事務方詰所、倉庫などがあります。 ● 庭園 幕末、越後高田藩(藩主・榊原政敬)の藩邸であった旧岩崎邸の庭園は、典型的な大名庭園であっ たと推測される。 岩崎邸建設時に和洋併置式の「芝庭」に改造された。 現在、書院風の庭園の一部が和館広間前にわずかに残るだけで、芝地に配されていた景石、およ び和館内にあった石燈籠などは庭を囲む樹林内に置かれている。 ● 撞球室(ビリヤードルーム) 設計は洋館と同じく英国人建築家ジョサイア・コンドルで、完成は明治30(1897)年以降とされる。 当時としては珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、洋館同様スレート葺の切妻屋根の棟飾り、 妻壁(破風部分)のシングル(ウロコ状の板)、額縁の付いた上げ下げ窓などにアメリカ木造ゴシック 風のデザインが見られる。 独立した形で撞球室が造られることは極めて稀なことで、洋館とは地下通路で連結されている。 ● 煉瓦塀 当初は、煉瓦積み黒漆喰仕上げの塀であり、煉瓦が葺かれていた。 黒漆喰仕上げは耐水性と耐火性に優れた工法で商家や藏に用いられることが多かった。 耐震補強工事の際に発掘された瓦を使用し、当初の様子が一部復原されている。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |