(本堂後庭園/季節限定) (画像をクリックすると、大きくなります) << 正面入口−→総門−→玉澗橋−→拝観口−→月笑軒−→北条時頼公廟所−→北条時頼公墓所 >> ● 正面入口 ● 総門 ● 総門を入ると、標識(←鎌倉幕府第5代執権 北条時頼公墓所 本堂・開山堂・やぐら→) が。 ● 玉澗橋を渡り、「北条時頼公墓所」に向かいます。 ● 左側に「拝観口」、右側には「桂橋」がみえます。 * (左側/拝観口)・・・(右側/桂橋) ● 右側に「月笑軒」を見ながら進むと、突き当たりに「北条時頼公廟所」が。 * (月笑軒) ● 北条時頼公廟所 ● 北条時頼公墓所 宝篋印塔(ほうきょういんとう)・五輪塔の部材を組み合わせた石塔で、石積みの壇上に安置され ている。 このあたり一帯は時頼公が寂した最明寺の故地である。 父は時氏(ときうじ)、母は安達景盛(かげもり)の娘で賢母と言われ徒然草(第148段)にも登場する 松下禅尼の次男として、安貞元年(1227)生誕。 祖父三代執権、泰泰の善政の後を受け継ぎ寛元4年(1246)19才で五代 執権につく。 ますます北条政権を確固たるものに築き一族の全盛期を迎える一方では禅宗に深く帰依した。 建長5年(1252)中国の高僧、大覚禅師(蘭渓道隆/らんけいどうりゅう)を開山に迎え、わが国最 初の禅の専門道場、建長寺を創建。 康元元年(1256)には、この地、最明寺において、建長寺開山大覚禅師を戒師30才の時出家。 僧名は覚了房道崇と号し執権職を長時にゆづる。 弘長3年(1263)11月22日、37才の生涯を終 える。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |