● 入口 ● 源頼朝公顕彰碑 歌碑は我が国中世史の権威であり源頼朝研究の第一人者であった大森金五郎氏によるものである 戦乱の中世を鎮定して民百姓の生命財産を保障すると共に時の朝政を恣しいままにしていた公家衆 の特権を剥奪して我が国最初の武家政権を鎌倉の地に創設した不世出の英雄源頼朝公を讃えたも のである。 顕彰碑裏面には源頼朝公の偉業を讃える八百余名の顕彰者名が刻銘されている。 平成12年7月12日 源頼朝会 歌碑 君出でて民もしづまり 九重の塵もおさまる 世とはなりにけり ● 法華堂跡碑 堂ハモト頼朝ノ持佛ヲ祀レル所ニシテ頼朝ノ薨後其ノ廟所トナル建保五年五月和田義盛叛シテ火ヲ幕 府ニ放テル時将軍實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ處ナリ實治元年六月五日三浦泰村此ニ籠リテ北條ノ軍ヲ 邀ヘ刀折レ矢盡キテ一族郎等五百餘人ト偕ニ自盡シ滿庭朱殷ニ染メシ處トス 大正13年3月建 鎌倉町青年團 ● 石碑 頼朝公御石塔及元祖島津豊後守忠久公石塔道 ● 白旗神社 由緒記 一、祭神 源 頼朝公 一、例祭日 一月十三日 一、由緒 この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻の中 に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。 正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り 法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍 が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。 その後鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して祭祀を続け 明治維新に際し寺は白旗神社 に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。 現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和45年に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって 造営されたものである。 持仏…守り本尊として、常に身辺に置いて信仰する仏像。 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |