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<< (6)佐々木家住宅−→石祠(稲荷社)−→(7)江向家住宅 >> ● (6)佐々木家住宅 建築工事の古記録が残る名主の家 指定区分:国指定重要文化財 旧所在地:長野県南佐久郡佐久穂町畑 建物区分:農家(名主の家) 構造形式:寄棟造、一重、一部中二階、茅葺、桁行24.1m、梁行7.3m 建築年代:享保十六年(1731)、延享四年(1747)に座敷普請 この建物は名主(なぬし)の家で、長大で軒が高く、中二階の採光のために屋根の東側を「かぶ と造」としています。 こうした外観の特色のほか、普請帳(ふしんちょう)や記録によって家の歴史がわかる点で重要な 民家です。 まず、享保十六年(1731)の新築願から建築した年がわかり、寛保三年(1743)の普請帳から千曲 川(ちくまがわ)氾濫の影響によって移築されたことがわかりました。 延享四年(1747)の普請帳は座敷の増築を伝えています。 上手の二室(マエデノザシキとオクノザシキ)がこれにあたり、客用の便所や風呂を備えていること からも、村内で相当な地位についたことがわかります。 農家ですが紺屋を営んだ時期があり、中二階は村の寺子屋としても使われていました。 ○ 土間に入る左手前に小便所があります。 ○ ミソベヤ(味噌部屋・・ミソ・ショウユを貯えておく所) ○ オカッテ(お勝手) ○ チャノマ(茶の間・・家族の休息・食事をする) ○ ナカノマ(中の間・・お客をもてなす予備の部屋) ○ ザシキ(座敷・・お客をもてなす部屋) (右画像/振り返ると) ○ フロ(風呂) 風呂場は土間の一角に簡単な囲いをして設けるのが普通でした。 しかし、こうした風呂もある家は少なく、その家が週に一度くらい湯を立てると、近所の人も借り にいきました。 これを「もらい湯」といいます。 夏は行水ができますので、借りることはありませんでした。 佐々木家縁側の左手に風呂場があります。 ここは客が湯を使うためのもので、その後改造され機織り部屋になっていました。 家族用の風呂場があったのは入口の横です。 排水も捨てずに溜め、田畑に使いました。 ○ ゴザ・・室内作業をする所 ○ 外流し 屋外に設けられる水場の移り変わりをたどると、流しの起源を垣間見ることができます。 山村では自然の流れをそのまま水場とする所が少なくありません。 流しと呼ぶような設備を持たないものから、雨雪をしのぐ小屋を設けるもの、鍋釜や食器を載せ る棚を設けるものなどさまざまな形式があります。 平地でも用水路に洗い場を設ける例があり、その他、野外の井戸端に簡単な竹簀子の台を置 いて流しとする所の多く見られます。 このように屋外の流しは各地で見られますが、こうした場所がコミュニケーションの場として活用 されてきたことも見過ごせない一面です。 佐々木家の井戸はもともと主屋の裏手にありました。 どこの家でも井戸を掘れたわけではないため、この井戸を近所中が使っていたそうです。 ● 石祠(稲荷社) 旧所在地:長野県南佐久郡佐久穂町 ● (7)江向家住宅 田の字型の間取りを持つ合掌造りの家 指定区分:国指定重要文化財 旧所在地:富山県南砺市上平細島 建物区分:農家(組頭の家)、合掌造 構造形式:切妻造、妻入、茅葺、一重三階、桁行19.6m、梁行8.5m 建築年代:18世紀初期 富山県の五箇山(ごかやま)地方は、岐阜県の白川地方とともに合掌造(がっしょうづくり)で知ら れています。 しかし、それぞれ特徴があり、五箇山でも庄川(しょうがわ)本流と支流の利賀谷(とがだん)とで は違いが見られます。 この建物は庄川本流系で、「妻入(つまいり)」「正面に茅葺(かやぶき)の庇(ひさし)を付けた入 母屋造(いりもやづくり)風」「田の字型の四間取り」といった特徴を持っています。 床上には、下手に囲炉裏のあるデイとオエ、上手にオマエとヘヤが並んでいます。 デイは接客用、オエは日常生活の場、ヘヤは寝室、オマエは正式な座敷です。 このオマエは畳敷きで、浄土真宗が盛んな地域のためブツマ(仏間)が設けられています。 ○ 入口を入ると右側に「ウマヤ」があります。 ○ 右側の「ニワ」には紙漉きの道具があります。 ○ オエ・・・家族が休息・食事をする所 ○ デイ・・・客をもてなす所 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |