(2)表向/中の段 2

           


                          (岡山城HPを参考にしました)

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  (9) 数寄方櫓(すきかたやぐら)跡
       白壁造りの三階建ての櫓ですが、伊部櫓(いんべやぐら)と同じように石塁に寄せ掛けて建っていた
       ため、城外からは二階建てに見えました。
       表書院の数寄屋(茶室)で使う茶道具類が保管されていたのではないかと思われます。

                     


 (10) 多聞櫓跡
       伊部櫓と数寄方櫓の間に建てられた長さ30m、幅5mの二階建ての長屋で、石塁の上は平屋となっ
       ていました。
       白漆喰の壁には格子窓が5ヶ所、石落としが2ヶ所設けられていました。

                             


                          


 (11) 伊部櫓(いんべやぐら)跡
       白壁造りの三階建ての櫓で、平面は正方形でした。
       石塁に寄せ掛けて建っていたため、城外からは二階建てに見えました。
       備前焼の生産で栄えていた伊部村(いんべむら/現 備前市伊部)によって建造された櫓ではないか
       ともいわれています。

                             


                          


 (12) 多聞櫓跡
       石塁の上に建てられた長屋を多聞櫓といいます。
       大納戸櫓と伊部櫓の間には長さ37m、幅4mの平屋の多聞櫓が建っていました。
       壁には下見板が張られ、格子窓や石落としが設けられました。

                             


                  


 (13) 大納戸櫓跡
       本丸の大手を守る要となる三重四階建ての城内最大の櫓でした。
       一階の平面は長辺20m、短辺10mで、壁には黒い下見板が張られており、藩政のための書類や道
       具類が保管されていました。
       小早川秀秋が沼城(岡山市東区沼)の中心櫓をここに移築したものと伝えられています。
       明治の廃城後取り壊されました。

                      


                  


 (14) 鉄門(工事中)
       中の段正面の入口で、切妻造りの櫓門です。
       1階部分にびっしりと鉄板を打った堅固な造りであったためこの名がつきました。

                  


 (15) 不明門(あかずのもん)
       表書院(藩庁)の南端から本段(城主住居)へ上がる石段の入口に設けた渡櫓門、天守閣のある本
       段全体の入口を固めた大形の城門です。
       普通はこの門は閉ざされていたことから、「不明門」と呼ばれました。
       明治の廃城後取り壊されましたが昭和41年、鉄筋コンクリートで再建されました。

                  


                             


                      


 (16) 泉水
       表書院の中庭にあった泉水を復元しています。
       発掘調査で出土した遺構は地下に保存されています。
       水が漏らないように底に漆喰を貼り、北東の井戸から備前焼の土管で給水する仕組みで、中の島に
       湧水口を設けていました。

                     


 (17) 廊下門の脇を通り、天守閣(本段)へ向かいます。

                  


                  



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                               ● (入口へ) ●

 

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