(6)下の段 2

                      


                          (岡山城HPを参考にしました)

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 (40) 大納戸櫓と鉄門の間の石垣

                  


 (41) 石碑/岡山
        城のある丘は岡山と呼ばれ、岡山の地名の起こりといわれています。
        宇喜多秀家は旭川の川筋を付け替え、掘った土をこの丘に盛り上げて、岡山城本丸の土台をつく
        りました。

                          


 (42) 内堀の突き当たりに(←内下馬門跡方面  月見櫓下方面→)

                          


 (43) 内下馬門跡の石垣
        付近は本丸の正門があったところで、城の威厳や大名の権力を誇示するために、巨石が組み込
        まれています。
        発掘調査によって、関ヶ原合戦直後に池田氏が築いたものである可能性が強まりました。

                  


 (44) 大納戸櫓台の石垣
        関ヶ原合戦後に、小早川秀秋が築き、池田利隆が大幅に改修したとみられる石垣です。
        加工をあまり施さない自然石を用いているが、上部ほど傾斜が強くなる特徴を持っています。
        上には建っていた大納戸櫓は、南北長20m、三階建ての雄大な建物でした。

                          



                  


 (45) 中の段南西の石垣(多聞櫓下の石垣)
        関ヶ原合戦後に小早川秀秋が築き、続く池田忠継の時に改修された石垣で、左隅は1620年代に
        池田忠雄が築いた割石積みの石垣が被さっています。
        あまり加工を施さない石材を緩い角度に積むのが特徴で、高さは11m。
        長年の変化で石材がせり出していたため、平成11年から13年にかけて解体修理を行いました。
        石垣の裏12mの位置に宇喜多秀家が築いた石垣が埋め込まれています。

                     


 (46) 伊部櫓下の石垣

                  


 (47) 多聞櫓下の石垣

                          


 (48) 油櫓跡付近
        下の段西面に並ぶ櫓群(修覆門 油櫓 隅櫓)のひとつ。

                          


 (49) 数寄方櫓下の石垣

                  


 (50) 月見櫓下の石垣
        池田忠雄が1620年代に築いた石垣で、上には月見櫓が建っています。
        隅部は表面を特に平らに整えた方形の割石を配し、その長辺を交互に振り分けた算木積みとなっ
        ています。
        石材は白色度の強い花崗岩で、瀬戸内海に浮かぶ犬島(岡山市犬島)で切り出されたものとみら
        れます。

                              


                      


                          



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