<< 第二駐車場−→第一駐車場−→行啓記念碑−→御視察記念碑−→ −→愛の泉−→大谷資料館−→坑内散策 >> ● 第二駐車場を出て、資料館に向かいます。 ● 資料館手前は第一駐車場になり、沢山の観光バスが駐車しています。 ● 資料館手前に、沢山の石碑などがあります。 *(左画像/行啓記念 皇太子殿下 美智子妃 昭和55年10月26日) (右画像/御視察記念 常陸宮殿下 華子妃 昭和59年5月14日) ● 愛の泉(縁結びの神様) この神様にお参りすれば固い意志で結ばれる硬い石はDIAMOND(大谷門戸/ダイヤモンド) 大谷で結ばれたお二人のお門出をいわいます。 冬季に凍った水面の水がハートの形に融ける愛のパワースポットです。 ● 資料館 ● 入口を入ると、受付があります。 はじめに 約1,500万年前、日本列島の大半が海中にあった頃、火山が噴火し、火山灰や軽石が堆積して 大谷石が誕生しました。 石材としては、約1,400年前の古墳時代に、石室に利用されたのがはじまりです。 約100年前に採石が本格化され、大正時代中期に地下掘りの技術ができ、現在に至ります。 地球が生成した大谷石を、人の手によって切り出し、生み出された空間をこれよりご覧いただき ます。 大谷資料館 ● 坑内入口から下っていきます。 ● 階段を下りていくと、空間が広がってきます。 ● 下に下りるまで、一方通行になっています。 地下軍事工場 この地下空間は戦時中、陸軍の地下倉庫とそて、また、中島飛行機の戦闘機「疾風/はやて」 の機体工場として利用されました。 当時、他の地下工場や外につながるたくさんのずい道(トンネル)が掘られ現在もこの奥に残っ ています。 広大な地下空間 この地下坑内は、大正8年(1919)から昭和61年(1986)に渡り採掘が行われ、下図のような構 造になりました。 広さは、約20,000平方メートル(間口150mx奥行140m)、深さは地下約30mで、野球場がひとつ 入る大きさがあります。 この空間の容積は、約300,000立方メートルで、約1,000 本の石が切り出され日本全国に出 荷されました。 ● 平らになると、広い空間がひろがります。 手掘りのあと 昭和34年頃7までは、手堀りによる採掘が行われました。 天井付近に見られる壁の縦線模様は手堀時代のものです。 石山に対し横方向に1本1本掘り進め、石を縦に切り出した、垣根掘りのあとです。 その下に見られる横線模様も同時代のもので、石山に対し下方向に掘り進め、石山に対し下 方向に掘り進め、石を横に切り出した平場掘りのあとです。 「ミソ」の層 この坑内は、下図のようにまず垣根掘りで山に横穴を掘り、そこから平場掘りで柱を残しながら 地下を掘り進めました。 大谷石は、きれいな石の層と、「ミソ」と呼ばれる茶色の塊を含む層が交互に重なっています。 上記の採掘法をとることにより、ミソの層を残し、きれいな石の層の採掘跡で、天井にはミソが 確認できます。 温度計(12度) 湿度計(85%) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |