● 親不知 親不知(おやしらず)・子不知(こしらず) 天下の険として有名な親不知、子不知海岸。 北陸本線親不知駅を中心とする青海駅、市振駅間約15kmの総称で、親不知駅・市振駅の間 が親不知、親不知駅・青海駅の間が子不知と呼ばれています。 ● 地名の由来はいくつかあります。 1.北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際 に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから親知らず・子知らずと呼ばれるよう になった 2.平清盛の弟、頼盛の夫人が夫の後を慕って親不知を通りかかった折、2才の愛児をふとこ ろから取り落とし、波にさらわれてしまった際に悲しみのあまり詠んだ 「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」 という歌が由来になった。 現在はJR北陸本線、国道8号、北陸自動車道が通り、通行に支障は無くなりました。 親不知記念広場の展望台から海岸線を眺めると、当時の苦難が想像できます。 * (天嶮・親不知の全景の模型) ● 四世代道路 市道・天険親不知線は、昭和61(1986)年建設省の「道の日」制定記念の一環として進められた「 日本の道百選」の一つに選ばれました。 また、この道は貴重な歴史的土木構造物として、平成19(2007)年に土木学会選奨土木遺産に認 定されています。 親不知・子不知の由来 今から八百年前の源平盛衰の昔、越後の五百刈村(こひゃっかりむら)へ移り住んだ池大納言 平頼盛(いけのだいなごんたいらのよりもり/平清盛の異母弟)の後を追って、この地を通りかか った夫人が懐の愛児を波にさらわれ悲しみのあまりこの歌を詠みました。 親しらず子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく この歌が地名の由来といわれる親不知・子不知は古来から旅人が北アルプス北端の断崖と日 本海の荒波を縫って、命がけで通行する天下の難所といわれています。 ● 天下の難所 旅人は、この地を通る前に、必ず「無事に通れますように」と、波除観音にお祈りをしてから出発し ました。 また波除観音の下方にある岩は、旅人が波にさらわれないようにとしがみついたが、だんだん下 へずり落ちてゆき、ほほの髭が擦り切れたことから髭剃岩といいます。 この天下の難所にも、大懐・小懐や大穴・小穴のような天然の避難所があります。 大懐から大穴までは、親不知中最も危険なところであり、走り抜けないと波にさらわれることから、 長走りと呼ばれています。 また小穴を過ぎると、絶壁に「南無金剛遍照」(なむこんごうへんじょう)と刻まれてあり、ここから西 は走り込みと呼ばれ、ここまで来ればもう安心といわれました。 この親不知の難所を越えればまるで極楽浄土を旅するようだということで、そのあたりは浄土と呼 ばれており、そのには波除不動が祭られています。 旅人は皆、「無事通り抜けられました」と手を合わせて、先へと旅立って行きました。 (第一世代の道) ● 人と道の物語 この天下の難所も明治11(1878)年、明治天皇御巡幸を契機に国道建設運動が盛り上がり、明治 16(1883)年に東西日本を結ぶ日本海側の大動脈が完成しました。 この工事は、断崖絶壁を縫って、すべて人力で行われ、苦難を極めていたといわれております。 また、この開通記念として道路から見上げる大きな一枚岩に、約1m四方の字で、「如砥如矢/との ごとくやのごとし」と刻まれ、開通の喜びが表されています。 (第二世代の道路) このように明治人が近代国家建設にむけて開削した道が、現在の市道天険親不知線です。 ● 第四世代の道路へ その後、改良と災害復旧が重ねられましたが、車社会に対応して昭和41(1966)年に国道8号天険 トンネル(延長734m)が完成しました。 (第三世代の道) 昭和63(1988)年、近年の高速交通時代に向かい、現在の道路建設技術の粋を集めて、日本初の 海上高架橋、親不知インターチェンジを含む、北陸自動車道が完成しました。 (第四世代の道) 昭和63年7月 糸魚川市 ● 著名作家に愛された親不知 親不知を舞台にした小説「越後つついし親不知」や「雁の寺」、「飢餓海峡」等で知られる作家の水 上勉(大正8年〜平成16年/1919〜2004)は、著書「新日本紀行」の中で親不知について次のよう に書いています。 越後の「親不知」を私は好きである。 美しい日本の風土の中で私はいちばん「親不知」が好きである。 私は、これまで「親不知」を何ど訪ねたことだろう。 東京に住むようになってから私は若狭へ帰るたびに、わざわざ北廻りの汽車に乗ったのは「親 不知」の風光を見るためであった。 「親不知」は激しい断崖と荒波の海しか見えない。 日本の中心部を横断する中部山岳地帯が、北の海へ落ちこむのはこの親不知付近である。 山は固く、頑固な壁となって北陸道へ険しく襲いかかるように、樹木の少ない荒ぶれた肌をみ せて落ちこんでいる。 ● 親不知文学散歩 親不知は、古来より多くの文学作品に登場しています。 「源平盛衰記」作者不詳/「善光寺紀行」尭恵(ぎょうえ) 「奥の細道」松尾芭蕉/「東遊記」橘 南谿(たちばななんけい) 「諸国道中金の草鞋」十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく) 「三富集(さんぶしゅう)」中江晩籟(なかえばんらい) 「能登−人に知られぬ日本の秘境−」パーシヴァル・ローウェル 「日本アルプス登山と探検」ウォルター・ウェストン 「山椒太夫(さんしょうだゆう)」森鴎外(もりおうがい) 「日本美の発見」ブルーノ・タウト 「親不知・子不知」深田久彌/「日本海の波」久保田万太郎 「越後つついし親不知」水上勉 「万葉翡翠(まんようひすい)」松本清張 「かんじき飛脚」山本一力 親不知の晩秋をうたった詩に右のような一節があります。 しらなみ 中野重治 ここにあるのは細ながい磯だ うねりは遥かな沖なかにわいて よりあいながら寄せてくる そして この渚に さびしい声をあげ 秋の姿でたおれかける (中略) ああ越後のくに 親しらず 市振の海岸 ひるがえる白浪のひまに 旅の心はひえびえとしめりをおびて来るのだ (車で行く場合) 北陸自動車道・親不知IC下り右折し国道8号へ。 「風波トンネル」・「親不知トンネル」を出ると右側に「親不知観光ホテル」があり、 その前に無料駐車場があります。 (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |