* (鴛泊港からのぺシ岬と利尻山・・前回撮りました)
鴛泊港から道道108号を少し行くと「鴛泊港展望台入口」の看板があります。
* (ぺシ岬)・・・(ぺシ岬展望台入口)
ギャラリーの脇を通ると、近自然工法で整備された遊歩道になります。 1970年代に地球規模の環境破壊が問題になり始めた頃、自然生態系の復元工法としてスイスやドイ ツで誕生しました。 日本では、日本の気候風土に合わせ、日本古来の伝統的な土木技術との融合をはかり、独自の土木 工法として発展してきています。 ペシ岬の遊歩道は、雨や雪解け水の流れを抑えて水の蛇行・プール状の階段や小さな窪みを頻繁に 作って場所に合わせた工法で整備しました。
* (ギャラリー)・・・(展望台まで遊歩道に)
すぐ「ロータリー憩いの広場」に。 この広場は、利尻ロータリークラブ創立20周年記念事業の一環として、造成されたものです。 この場所は、その昔ニシン漁の華やかだった頃、ニシン漁業を営む人々が、沖の様子の一望できる場 所として大切にしておりましたが、ニシン漁が途絶えると同時に荒廃して、一時期畑などとして使われて おりました。 また遠く遡ると、先住の人々が、やはり見張り台(チャシ)としてこの地を利用していたようです。 ロータリークラブでは、そうした歴史を振り返り、また遠い時代を思い起こす学習の場としても地域の人 々、そして観光でこの地にお立ち寄りになった皆さんに、景色と歴史を感じて頂きたいものと考え、「ロ ータリーの広場」として造成致しました。 平成15年6月 国際ロータリー第2500地区第1分区 利尻ロータリークラブ
会津藩士の墓 利尻富士町文化財(有形文化財) 昭和54年10月26日指定 エゾ地防衛の命を受けた会津藩士は、部隊を編成し文化5年(1808)1月日会津を出発、その一隊 は○月○日リシリ嶋に到着、当時は、本泊の運上屋をその守備の本陣として、鴛泊港町の地と利 尻町沓形の地にそれぞれ布陣していたものと思われます。 しかし多くの守備兵は、寒さのため水腫病におかされ、遠く故郷会津を偲びながら死んでいったの です。 この会津藩士の墓は、沓形に二墓、本泊に三墓、鴛泊に三墓と在り、いずれも墓石はの石をもって 刻み、海路新潟よりこの地に運んで建立したものです。 この墓碑に刻まれている文字は、 会津樋口源太僕孫吉墓 文化5年7月24日 大沼郡高田村所生 会津渡辺左右秀俊墓 文化5年戌辰7月16日 会津丹羽織之丞僕茂右衛門墓 文化5年7月12日 駒板村所生 所在地 利尻郡利尻富士町鴛泊宇 町
タイムカプセル 東利尻町100年の一端の姿を、50年後の世代へ贈ります。
展望台に向かいます。
* (中央画像/利尻島13景)
鴛泊灯台方面への分岐通過。 どちらからでも展望台へ
* (展望台方面)・・・(分岐)・・・(灯台方面)
展望台到着。 天気が良いと360度の展望があり、利尻山や日本海が一望できますが、今日は雲が多く風が強く残念です。
* (右画像/一等三角点)
少し下がった所に、鴛泊灯台が建っています。 鴛泊灯台は、1892年(明治25)11月に初点灯し、1953年(昭和28)7月に改築されています。 灯塔高(地上から塔頂まで)は9.4m、標高(平均海面〜灯火)は76m光度は24万カンデラ(実効光度) 光達距離は21.5海里(約40km) です。
* (鴛泊灯台)・・・(鴛泊港)
* (天気がよいと、このように見えます・・前回撮った画像から)
(全景は、パノラマでご覧ください)
(画像をクリックすると、大きくなります)
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