(画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 池泉と庭園−→鐘楼−→南大門と太閤塀−→本堂−→「通し矢」射場 >> ● 池泉と庭園 昭和36年、京都の造園家・中根金作師の監修により、配石の妙、その芸術性を強調した鎌倉期の 作庭法により築庭されたもので、池畔にはサクラ・サツキ・ボタン・ツバキをはじめ夏椿やスイレンな ど四季の花々が咲きます。 ● 鐘楼 * (南大門) ● 南大門と太閤塀(重要文化財 桃山時代) 南大門は三間一戸の八脚門で、豊臣秀吉が文禄4年(1595)に造立した大仏殿方広寺(現・国立博 物館一帯)の南門として築いたものと伝えます。 それに続く築地塀は高さ5.3m、長さ92mの堂々たる建造物で、瓦に太閤桐の文様を用いることから 「太閤塀」と通称され、ともに桃山気風にあふれた遺構です。 ● 本堂 ● 「通し矢」射場 江戸期、尾張・紀州両藩による通し矢「天下一」の争奪戦は民衆の評判となりました。 縁側の柱や軒に残る鉄板は、雨あられと飛びくる矢からお堂を守るために徳川第三代将軍家光が 付加したものです。 西縁の南端から北端へ、一昼夜24時間、矢を射つづけるという「大矢数/おおやかず」は身命を賭 けた凄絶な競技で、江戸時代を通じて、約八百人がこれに挑み、時々のおもいをのせて放たれた 矢数も延べ百万本に達すると伝えられます。 毎年正月(15日に近い日曜日・無料公開)には、この古儀に因む弓道大会が行なわれ、全国から約 二千人が参加し終日、賑わいをみます。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |