(9)三溪記念館→鶴翔閣

                         


    * (5 原家の住居・鶴翔閣の全景)・・・(4 原家初代・善三郎の銅像)

       (3 大正初期頃の園内)・・・(2 明治末頃の園内)


                        (画像をクリックすると大きくなります)
    

  << 白雲邸−→三溪記念館−→雁ヶ音茶屋−→

         −→月影の茶屋−→三溪園茶寮−→(5)原家の住居・鶴翔閣の全景−→

           −→(4)原家初代・善三郎の銅像−→三溪原翁之碑−→柳津高桑星桜−→

              −→藤棚−→(3)大正初期頃の園内−→鶴翔閣−→(2)明治末頃の園内 >>


  ● 白雲邸(はくうんてい 横浜市指定有形文化財)
       この建物は原三溪が大正9年(1920)隠居所として建てた数寄屋風建築で明治以降における近代和風
       建築を代表するものです。
       建物の構造は単に居宅としてだけでなく、美術品の鑑賞や接客などの目的を兼ね備えた配置や間取
       りになっています。

    * (右画像/御門を入り突き当たりの臨春閣の玄関手前右側)

                          


                  


  ● 三溪記念館
       三溪園の創設者・原三溪に関する資料、三溪自筆の書画、 ゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春
       閣の障壁画などを展示しています。
          抹茶処 望塔亭(10時00分〜16時00分)
          三溪記念館ミュージアムショップ(9時30分〜16時15分)

                          


                  


  ● 大池のそばに、三軒の茶店がならんでいます。

    * 雁ヶ音茶屋

                      


    * 月影の茶屋(無料休憩所)

            


    * 三溪園茶寮

                  


                   


  


    


  ● (5)原家の住居・鶴翔閣の全景
       鶴翔閣は、三溪が明治35(1902)年に住まいとして築造したもので、三溪園の造園はまさにここを足が
       かりに進められた。
       現在ある建物は、改変著しかった状態を平成12(2000)年創建の姿に復したものである。
       当時は生け垣もなく、内部の生活の様子が一般来園者の目にされされている状態であった。
       数多くの貴重な古美術を所蔵し芸術家たちの支援者でもあった三溪のもとには常に文化人が国内外
       から出入りし、個人の住宅とはいえ、鶴翔閣も開かれた場であったといえる。

                          


  ● (4)原家初代・善三郎の銅像
       善三郎は、三溪の妻・やすの祖父にあたり、原家(屋号 亀屋)の礎を築いた人物。
       ”横浜は良きも悪しきも亀善のはら一つにて事決まるなり”と、当時巷間でその繁盛ぶりがうたわれた
       とおり、幕末期以降生糸の売込で成功をおさめ、一躍横浜の有力者となった。
       この像は善三郎没後の天正元(1912)年、その顕彰のために三溪が当時彫刻家・高村光雲門下の俊
       才として知られていた米原雲海(1869-1925)に依頼してつくらせたものであったが、大正12(1923)年
       の関東大震災により倒壊し現存しない。

                                


  ● 三溪原翁之碑
       三溪原富太郎翁は慶應4年に生れ昭和14年にみまかられきはやく生糸の輸出に製糸の経営にまた
       関東大震災後の横浜の復興に終世苦心し盡力せられし事業は別に後代に伝ふる人あらむ
       三溪園は翁これを創設して各地より古建築物を移築し内外人の遊覧に公開せらる
       又自ら風雅に至り深く或は画人を後援し或はタゴール詩宗をその客たらしめなどせられきここに節
       を憶ふ
       讃歌に曰く山の上の古塔仰ぎゆく池そひ道風やはらかに海よりいたる  佐佐木信綱

                  


  ● 柳津高桑星桜(やないづたかくわほしざくら)
       この桜は、原三溪の生誕地である岐阜県岐阜市柳津町から平成17年12月に寄贈されました。
       明治の中期から柳津町高桑で育成されてきた貴重な品種で、白い花が全体に星型に見えることから
       「柳津高桑星桜」と命名されました。
       通常の桜より開花期間が長く、2週間程度楽しめます。

                   


  ● 鶴翔閣に向かうため、左側に睡蓮池・右側に藤棚大池を見ながら進みます。

    * (左側に睡蓮池)・・・(右側に藤棚・大池)

                  


  ● 蓮池手前を左折すると「鶴翔閣」がみえてきます。

    * (蓮池手前左折)

                  


  ● (3)大正初期頃の園内
       現在と比較すると、もの足りないほどすっきりとした園内の景観である。
       主園路沿いに松の木が植えられたのは近年のことで、今では雑木となっている三重塔の山は往時黒
       松ばかりであった。

                       


                  


  ● 鶴翔閣(旧原家住宅・横浜市指定有形文化財)
       鶴翔閣(旧原家住宅)は原富太郎(三溪)が明治30年代に自邸として建てた住宅で楽室棟・茶の間棟・
       書斎棟・客間棟・仏間棟・倉などの建物群で構成されています。
       この建物は居住用と来客用の機能をあわせ持ち、横浜市域の近代和風建築を代表すると共に横山
       大観ら日本美術院の作家たちがたびたび出入りし、近代の日本画壇に大きく貢献した記念物として
       の価値も認められます。

                                    


                  


                  


  ● (2)明治末頃の園内
       現在では園のシンボルとなっている三重塔も、まだ移築される前の珍しい写真。
       園内には当初2,000本もの梅の木が東京・蒲田、川崎・小向(御幸)、横浜・杉田の梅林から移植され
       たが、数年後には暴風により壊滅的な被害を受けた。
       次いで植えられたのが花菖蒲である。
       その数は、96種10万株であったといわれるが、これも海からの塩害により長くは定着しなかった。

                          


  ● 正門に向かいます。

                  



          



    



                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

 

HTML Builder from Excel   作成:QQQ