猿橋 日本三奇橋のひとつです。 ”甲斐の猿橋” ”岩国の錦帯橋” ”木曽の棧(かけはし)” 広重の ”甲陽猿橋之図” や、十返舎一九の ”諸国道中金之草鞋”にも見ることができます。 また橋と周囲の自然景観との調和の見事なことから昭和7年に国の名勝に指定されました。 * (松尾芭蕉の句碑・・・うき我を寂しがらせよ閑古鳥) (珍しい構造) 長さ31m、幅3.3mの木橋ですが、谷が31mと深く橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに 両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支えています。 現在のものは1984年に再架されたものです。 * (猿橋の上から、素晴らしい景色が広がります) (猿橋の歴史) 猿橋架橋(奈良時代) 猿橋の架橋の始期については 昔、推古帝の頃(600年頃)百済の人、志羅呼。 この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る。 という伝説があります。 史実(室町時代) 文明十九年(1478年)、聖護院門跡道興が訪れ、 猿橋とて、川の底千尋に及び侍る上に、三十余丈の橋を渡して侍りけり。 此の橋に種々の説あり。昔猿の渡しけるなど里人の申し侍りき。さる事ありけるにや。 信用し難し此の橋の朽損の時は、いづれに国中の猿飼ども集りて、勧進などして渡し侍 るとなむ。 然あらば其の由緒も侍ることあり。所から奇妙なる境地なり。 と廻国雑記に記しています。 甲州防御の拠点(戦国時代) 当時、甲斐の国を治めていた武田氏は抗争において度々猿橋に陣を張ったという記録が残 っています。 戦中には敵の進行を防ぐために橋を焼き落としたこともあったようです。 甲州街道(江戸時代) 徳川幕府により開設された五街道の一つが甲州街道です。 江戸城に万が一の事態に遭ったときには、甲府城を幕府の拠点にするための重要な軍用路 だったと言われています。 大月市内には甲州四十五宿の内、十二宿がありました。 多くの旅人が猿橋を渡っていったことでしょう。 * (橋畔にある猿王を祭る山王宮の小祠) 大月郷土資料館 大月市の歴史や自然についてよく分かる展示コーナーがあります。 1階の特別展示室では、大月市出身で世界的に活躍している山岳写真家・白籏史朗氏の”秀麗 富嶽十二景”の素晴らしい写真展を見ることができました。 開館時間/AM9:00〜PM4:30 休館日/月曜日・休日の翌日 入館料/高校生以上・・100円(団体割引あり) *(右画像/近くに流れる桂川) 中央高速大月ICを下り、国道20号を猿橋方面に向かいます。 右手にJR猿橋駅をみながら進み、”大月郷土資料館” の標識で左折して行くと、 資料館の隣に、”猿橋公園”の駐車場(無料)があります (大月市のホームページを参考にしました) ((画像をクリックすると、大きくなります)) ● (ホームへ) ● |