<< 2階/展示ゾーン−→3階/企画展示室 >> * 宮大工の道具 宮大工の道具といっても、普通の大工道具と異なることはない。 しかし宮大工の道具の場合、少しの所が違う。 それは、宮大工が取扱う素材が主にけやき、桑などの堅木であるので、切れることが特に求められ たので、道具に千金を投じた。 岡野家の道具もまた、名工の作によるものが多い。ノコギリは中屋久作であり、中屋伊之助である。 カンナは名工・千代鶴の作の「八重霞」「槌の響き」である。 国広、義広、国豊の作もある。 特に、大カンナは「春霞」の銘が入る昭和の名工・石堂輝秀の作である。 * 岡野家の文書 * 佐原の祭り 佐原には、本宿の八坂神社の祇園祭り(7月9日〜17日の間金・土・日)と、新宿の諏訪神社の秋祭 り(10月第2土曜日を中日とする3日間)があります。 祭りは、始めは、花傘や花万燈が神輿について行われておりましたが、山車を引くようになり、享保 6年(1721)には、山車番組を組むほどになりました。 江戸時代末期には、赤松宗旦が利根川図志に、「この両祭禮、至って賑はしく、何れも二重三重の 屋台十四、五輌づつ花をかざり、金銀をちりばめ錦繍(きんしゅう)の幕を懸け、囃子ものの拍子いと にぎやかに、町々をひきまわる。見物の群集人の山をなし、まことに目ざましき祭なり。」と書くほど、 盛んになりました。 祭りは、その年の米作の豊凶によって就行がきめられました。 昔は、必ず山車が行列を組んで、町中を練り歩きましたが、今は、例祭には町中を自由にひき廻し、 本祭には山車番組みを組んで町中を練り歩きます。 * 祭を支えた力 佐原は、江戸時代に、利根川水運の重要な河港として栄え、18世紀の後半には、戸数1300軒余、 人口5000人を越える関東でも有数の町となりました。 米穀などの集散はもとより、醸造業もさかんで、最盛期には酒造家35軒、醤油醸造家14軒を数え るほどでした。 明治に入ってからも佐原の経済活動はめざましく、明治13年(1880)の郵便為替取扱高は1万3200 円で県下第1位、人口は約7000人で、飯沼町(今の銚子市)についで第2位でした。 また、江戸時代の佐原は自治の気風が強く、地頭(村を治める旗本)がたびたび祭を禁止しても、い つも、町民は団結してそれをはね返しました。 佐原の祭は、このような町の経済力と町民の自治精神によって支えられ、発展してきたのです。 ● 3階へ進みます。 ● 企画展示室 佐原の大祭のシンボル・日本一の大人形が展示されています。 日本神話や歴史上の人物を題材にし、明治・大正・昭和を代表する人形師によって作製されています。 展示されている大人形は、毎年入れ替えられます。 * 山車人形迫り出し仕掛け (寄贈 浜宿区) この柱が、山車人形の胴体部分の中心となり、頂上に人形の頭部が取り付けられます。 * 神輿 佐原市森戸区に御鎮座されている。 八幡神社は、本区の守護神で五穀豊穣、安産の神として近郷からも厚い信仰があり崇められてい ます。 祭礼は夏の大六天王神社の祇園、秋の八幡神社の神事と行われ、特に秋の神事でお浜降りは古 来の儀式を引き継いで今日に至っており近在では数少ない神事の一つとされています。 この神輿の製作は、明治28年頃とされており、当区の家大工飯島金兵衛氏が苦心の末、数年掛け て完成させたものです。 森戸区 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |