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<< 石鳥居−→総門−→御神水井戸−→神厩舎−→ −→古神札納所−→観阿弥の碑−→楼門−→手水舎(左右) >> ● 石鳥居前の道を挟んで総門(重要文化財)があります。 総門脇の社標には「神部神社 浅間神社」と記されています。 * (石鳥居)・・・(総門) ● 御神水井戸(総門を入り左側) 御神水井戸の由緒 この井戸は、寛文10年(1670年)の境内絵図に既に記載があり、三代将軍家光公造営の折に は現存していたことが明らかであります。 大御所公は幼少人質の折当神社付近で遊んでおり、又、駿府在城の時には度々当社へ参拝 しておりますので、この井戸にて御手水をされたことが窺い知れます。 又、当時当神社の全ての諸祭儀他にも使用され更に大神様のご神霊の籠もった「御神水」とし て深く信仰されておりました。 明治以降は空井戸として保存されておりましたが、今度平成の御大典記念事業として、崇敬者 各位の要望と御奉賛により再興し、上屋を復元したのであります。 この「御神水」は、大神様の疾病退散、延命長寿の御神徳を受けるものとして霊験殊の外あら たかであります。 平成3年9月11日 駿河国総社 富士新宮 静岡浅間神社 ● 神厩舎 (重要文化財 総門を入り右側) 神馬(叶え馬) 伝 左甚五郎作 しづやしづはたさんげん様のなんでも叶う白い馬 この神馬(しんめ)に一心に祈れば、何でも願い事が叶うというとかろから、叶え馬といわれてい ます。 その昔、浅間神社が火事になった時、二頭の木の神馬が三保明神に逃げてしまいました。 そして、火事がおさまると、一頭は浅間神社に戻ってきましたが、もう一頭はそのまま三保明神 にとどまったと伝えられています。 (浅間神社の七不思議の内のひとつであり、あの有名な「ちゃっきり節」の歌詞にも出ています) ● 古神札納所 ● 能楽の始祖 観阿弥の碑 五十二と申し 五月十九日に死去せしが その月の四日 するがの国 せんげんの御まえにて法楽仕りその日の由楽ことに花やかにて見物の上下一同に ほうびせしなり 「花伝書」によると、世阿弥の父観阿弥が最後に演したのは、当神社「せんげんの御前」と記録 されており、その十五日後に、駿河の国で死去した。 これまで みられなかった「観阿弥最後の舞台」を想起し「風姿花伝」の一節を刻み、観阿弥の 功徳を称えるものである。 碑文は、生駒、宝山寺蔵旧伝本より転写した。 ● 楼門(重要文化財) 神部神社・浅間神社の楼門で、文化12年起工、同13年竣工。 総漆塗で、彫物には「水呑の龍」「虎の子渡し」などがある。 また、二層部分に「當國總社・冨士新宮」の扁額が揚げられている。 * (右画像/水呑の龍) ***************** * (舞殿方面より) * (右画像/力士・水呑の龍・力士) ● 手水舎(左側) ● 手水舎(右側) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |