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<< 百段階段−→麓山神社(拝殿・本殿)−→賤機山古墳 >> ● 「百段階段」(八千矛神社左手)をのぼり「麓山神社/はやまじんじゃ」へ。 ![]() ![]() ![]() * (右画像/再び階段で・・・) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ● 麓山神社(はやまじんじゃ) 古来、賤機山に鎮座。「山宮」と称せられた。 本社の別宮。 漆塗極彩色。 例祭 4月22日 大山祇命を主神とし、日本武尊を配祀する。 主神は本社浅間神社の木之花咲耶姫命の御父神にまします。 当社は宮元八ヶ町の氏神でもある。 * (拝殿) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() * (本殿) ![]() ![]() ● 賤機山古墳へ向かって下っていきます。 ![]() ![]() ● 左側に石碑「国指定史跡 賤機山古墳」があり、わきの階段をのぼります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ● 国指定史跡 賤機山古墳(しずはたやまこふん) 昭和28年3月31日指定 ●賤機山古墳 賤機山古墳は、静岡平野の中心部に突き出た賤機山の南端に造られています。 葬られた人物は特定できませんが、6世紀後半にこの地方を治めた有力な豪族の墓と考えら れます。 古墳の形は、直径約32m・高さ約7mの円墳で、内部には巨大な横穴式石室が造られ、石室 内には遺体を納めた家形石棺が置かれています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 横穴式石室 賤機山古墳の横穴式石室は、巨石を組み上げて造られ、県内最大の規模をほこります。 石室は、遺体を安置する玄室と、玄室への通路である羨道〜前庭とからなり、南に開く羨道 の入口は、遺体を納めた後で人頭大の川原石が積まれ塞がれてました。 玄室と羨道の床には、拳大の川原石が敷き詰められ、奥から入口にかけては穏やかに傾斜 しています。 玄室と羨道の上には、重さ14tを超える巨大な石を含む7個の天井石が載せられ、天井石の 上には雨水の浸透を防ぐために、粘土で覆われています。 石室の石材は、高草山南端の大崩海岸から運ばれたと考えられています。 家形石棺 賤機山古墳の石棺は、家の屋根の形をした蓋と、箱形の身の部分から成る長さ2.91mの大 形の家形石棺で伊豆の凝灰岩を刳り抜いて作られています。 蓋には、四角形の突起が、左右に3対(6個)と前後に1対(2個)付いています。 8個もの突起を持つ家形石棺は、全国的には珍しく、この地方独特のかたちと言えましょう。 蓋と身との合わせ目には、ベンガラ(鉄の赤色酸化物)が塗られていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 出土遺物 石室内は、過去に盗掘に遭い、副葬品の一部は失われました。 特に、石棺は側面に穴をあけて内部が荒らされ、棺内には、冠帽の破片やガラス玉などがわ ずかに残されていたのみです。 しかし、石棺外には、遺物が数多く残され、中でも奥壁の前、石棺の西側、羨道からは、それ ぞれまとまって出土しました。 遺物には土器や装身具、武器、武具、馬具、銅鏡、銅鋺などがあり、これらの遺物の時代は、 6世紀後半から7世紀前半に及んでいます。 また、前庭の入口では、数個の甕が破片の状態で出土しましたが、これは、墓前でのお祭り で使われたものと考えられます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (1)地盤の造成 尾根を、古墳の芯となるように丸く削り、その中央は石室を造るために大きく堀りくぼめます。 (2)石室を造る 大きな石を組み上げて石室を造ります。 両横と奥に石を積み上げ、その上に蓋となる天井石を置き、石の外側を土で固めます。 また、墳丘の裾から盛土を積み始めます。 (3)墳丘を造る 裾から盛土を積み墳丘の下半分が出来上がります。 石室の上には、雨水の浸み込みを防ぐために粘土を貼ります。 (4)古墳の完成 頂上部分にも盛土を積み、全体の形を整えて、墳丘が完成します。 * (右画像/1) ![]() ![]() * (2)・・・(3)・・・(4) ![]() ![]() ![]() (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |