<< 大鳥居−→松陰神社旧鳥居柱−→神輿庫(参道右側)−→神楽殿(参道左側)−→ −→吉田松陰先生像(参道右側)−→手水舎(参道左側))−→松陰神社道の道標−→ −→徳富蘇峰植樹の碑−→社務所−→明治百年祭記念碑−→絵馬掛所 >> ● 大鳥居 ● 松陰神社旧鳥居柱 松蔭先生五十年祭(明治41年)の際に建造された松陰神社旧鳥居柱の一部(社殿向かって右の柱) 旧鳥居は御影石製で台座含め総重量20トン程であった。 平成23年10月の新鳥居建造にあたり解体。 その一部を保存した。 「明治41年10月五十年祭典」の刻字は社殿に向かって左の柱にあったものを保存の際に写し刻字 したもの。 ● 神輿庫(参道右側) 創建以来、宮神輿がありませんでしたが、平成11年7月多くの方々の御奉賛をいただき「松陰神社 宮神輿」が建造されました。 平成11年10月24日には松陰神社例大祭にあわせた萩世田谷幕末維新祭りの際、第1回渡御が盛 大に行なわれました。 ● 神楽殿(参道左側) 昭和7年(1932)、旧府社(明治政府が定めた社格のこと)に昇格する際、松陰先生の郷土の藩主・ 毛利家より寄贈されたものです。 平成12年には大改修され増築されました。 ● 吉田松陰先生像(鋳造:平成25年ブロンズ) (参道右側) 明治23年に大熊氏廣氏によって製作された吉田松陰先生像(石膏 松陰神社所蔵)から鋳造され たブロンズ像。 松陰神社にご鎮座130周年(平成24年)の記念事業として東京芸術大学に依頼し、ほぼ1年をかけ 石膏像の調査修復及びブロンズ像の鋳造をおこなった。 平成25年4月完成。同27日の春季例大祭にあわせ完成除幕式が行われた。 *大熊氏廣(安政3年(1856)〜昭和9年 明治9年工部美術学校に入学し、教授として来日していたイタリア人彫刻家ラグーザに師 事、明治15年首席で卒業。 明治21〜22年滞欧しファルギエール、モンテペルデ等に師事。 日本における近代彫刻の先駆者。 作品として靖国神社の大村益次郎像が有名。 ● 手水舎(参道左側) 現在の社殿と共に、昭和2年(1927)門下生であった明治の元勲其の他の崇敬者により造営され たものです。 ● 松陰神社道の道標 旧大山道(矢倉沢往還。現在の世田谷通り)から松陰神社に至る道の入口に建てられていた道標。 世田谷通りの拡幅事業の際に境内に移設した。 明治45年乃木希典(のぎまれすけ)公により寄進。 ● 徳富蘇峰植樹の碑 徳富蘇峰(とくとみをほう 本名猪一郎 徳富蘆花の兄)は明治の言論人。 肥後の生まれで、熊本洋学校をへて、同志社に学ぶ。政治的には桂太郎と密接な関係を持った。 明治41年自身の著述「吉田松陰」発刊にあたり植樹をおこない、碑を建立した。 ● 社務所 ● 明治百年祭記念碑 ● 絵馬掛所 *参道を振り返る (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |