境内巡りコース |
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京王線またはモノレールの”高幡不動駅”から数分で”高幡不動尊”につきます。 川崎街道の信号を渡ると、”仁王門” です。
● 仁王門 (重要文化財)室町時代 当初楼門として計画されましたが、途中で計画変更され上層の主要部を覆うような形で屋根がかけ られ近年まで外観は単層でした。 昭和34年解体復原修理の際楼門として復原され屋根も銅板葺きに変えられました。 仁王尊は室町時代の作です。 楼上の扁額「高幡山」は、江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆だそうです。
* (右画像/境内より)
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仁王門をくぐると、左手に水舎・前方に大香炉・右手に宝輪閣(お札所)があります。
● 宝輪閣(お札所) 護摩修行受付所。
* (水舎)・・・(大香炉)・・・(宝輪閣)
● 旗かけの松(二代目) 源頼義が前九年の役で奥州征討に向かう途中、不動尊に戦勝を祈願し、軍旗を立てかけたと伝え られています。
前方に ”不動堂” があります。
● 不動堂 (重要文化財) 康永元年(1342年)山中より移建しました。 不動堂は清和天皇に勅願によって、慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立しました しかし建武2年(1335年)8月4日」夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在 のところに移建した堂で東京都最古の文化財建造物です。
* (御護摩修行の案内)・・・(不動堂)
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”不動堂” の後には、”奥殿” ”上杉憲顕の墳” ”納札堂” があります。
● 奥殿 千年ぶりの修復を終えた丈六不動三尊像を中心に沢山の文化財を収蔵・展示する為の御堂です。 1階が展示室、2階が収蔵庫になっています。(拝観料 300円 9:00〜16:00 月曜日休館)
階段を上がり、入り口を入る前に右手をいくと、”不動三尊像” をガラス越しに見る事ができます。 奥殿内は、撮影禁止です。
● 上杉憲顕の墳 茶湯石 上杉憲顕は氏憲の子。 享徳4年正月(1455年)足利成氏の軍と立川河原に会戦、深手を負い高幡寺に入り自刃しました。 自然石はその墓標で、俗間信仰に茶湯石(服石)と言い、百か日忌払い供養の伝承があります。 (鎌倉大草紙)
”奥殿” の左側には ”五重塔” があり、その下には ”千体地蔵堂” と休憩所があります。 そばに ”豊泉翁の碑” ”講堂(事務局)” ● 五重塔 満5年の歳月をかけて竣工した五重塔は、塔高39.8m、総高45m、 和様、三手先出組、青銅瓦葺、 平安初期の様式を模した美しい塔です。
* (千体地蔵堂参拝口)・・・(講堂・事務局)
* (豊泉翁の碑)
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階段を上り、”山門” をくぐり、”大日堂” に向かいます。
● 山門 大日堂正面の四脚門は ”山門” と呼ばれています。 扁額「十善ノ花開ク處」は、伊東祐享元帥の筆です。
山門のすぐ右に ”五部権現社殿” ”花塚” ”盤水句碑” があります。
● 五部権現社殿 (都指定文化財・江戸時代(寛文10年)) 源頼義勧請の八幡大菩薩を中心に五神が合祀されており火傷除の信仰が伝わっています。 神牌五基は、暦応三年の銘があり重要美術品に指定され、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)の よい資料です。 構造形式は、一間社流造り鉄板葺きで、桁行1.52M 梁間1.30M 江戸時代初期の宮造りとして類例少なく貴重です。 現在は、保護柵にはいっています。
● 花塚 毎年11月23日に花塚供養が行われます。 お花に関係の深い方々が花の供養のために建てた塚です。
* (花塚)・・・(盤水句碑)
鳴り龍天井で有名な ”大日堂” へ向かいます。
● 大日堂 (大玄関から中に入ります。 堂内は撮影禁止です ) 高幡山の総本堂で、平安時代の大日如来像及び諸佛を安置する御堂です。 江戸時代安永八年の大火で焼失し、長く仮本堂のままでしたが、昭和五十七年から五年の歳月を かけて根本改修工事が行われました。 新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています。 又大玄関は桃山時代様式です。 鳴り龍天井や優れた彫刻群、幽玄な内陣荘厳のほか後藤純男画伯の大作襖絵「桂林山水朝陽夕 粧」の鑑賞ができます。 大日堂鳴り龍拝観 200円 毎日午後9時から午後4時(月曜休館)
* (大玄関)・・・(大日堂)
そばに ”御佛足石” ”水禽窟” があります。
* (御佛足石)
* (水禽窟)
また ”金剛桜” ”敏郎句碑” ”茶筅供養塔” や石碑が沢山たっています。
● 金剛桜 原木・薬師桜は、山形県白鷹町高玉の薬師堂前に1300年の歳を重ねてきたエドヒガンです。 同所の金田聖夫氏は、千年の命をさらに後世に伝えるため、薬師桜の種子を蒔いて作った台木に 親木の芽を接いで、親と全く同じ遺伝子を有する分身を育てる事に成功しました。 本樹は、同氏が育成した分身を、平成14年11月15日、重要文化財木造不動明王及二童子像の保 存修理完了を記念して植樹し、 ”金剛桜” と命名しました。
● 敏郎句碑 紫陽花も 山紫陽花も 法の山
* (茶筅供養塔)
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”豊泉寮” ”知足庵” ”風信庵” を見学します。
● 豊泉寮 (非公開) 八王子の豪商、豊泉吉兵衛翁・かつ子夫人の寄進になる重厚な建築で、茶席 ”緑豊軒” ”汲泉 亭”として利用されています。
● 知足庵 (非公開) 数寄屋造りの知足庵、書院造りの寂斉が設けられています。
● 風信庵 (非公開)
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”鐘楼堂” に向かいます。 直接上っていく急階段があるのですが、今は危険なため禁止されています。 ”四季の道” を上っていくと、まもなく ”鐘楼堂” です。
* (階段は、禁止です)・・・(四季の道)・・・(お地蔵様)
* (鐘楼堂)
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戻っていきます。 ”お鼻井戸” ”稲荷社” ”大師堂” ”五輪塔” とみていきます。
● お鼻井戸 建武2年(1335年)の大暴風で、山中の不動堂が倒れた時、不動尊像がお鼻をついた処と伝えられ ています。
● 稲荷社
● 大師堂 弘法大師堂/昭和9年再興 多摩四国八十八ヶ所、山内四国八十八ヶ所の第八十八番打ち止めの霊堂。 御めい日は毎月21日。
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五重塔を過ぎ出口の近づいてくると、”弁天堂” ”新選組両雄の碑” ”土方歳三像” があります。
● 弁天堂 弁天池の島に建つ朱塗りの小堂で、福徳弁財天を祀っています。 ご縁日は毎月15日
● 新選組両雄の碑 この碑は新選組の近藤勇・土方歳三の事績を記したものです。 文の選者はもと仙台藩の儒者大槻磐渓、筆者派もと幕府典医頭・医学所長松本順で、篆額はもと 会津藩主・京都守護職松平容保が書いたものです。 明治9年4月、時の金剛寺住職賢雅大僧正が佐藤俊正・糟谷良順・土方義弘・本田定年・橋本政直 近藤勇五郎・小島為政等とはかり両志士の殉節を顕彰し、冥福を祈るために建碑を計画し明治21年 7月にいたり竣工したものです。
* (新選組両雄の碑)・・・(土方歳三像)
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仁王門そばには、”交通安全祈願受付所” ”交通安全祈願殿” そして前の広場は ”駐車場” です。
● 交通安全祈願受付所 休憩所・開運そば店・高幡まんじゅう店が一緒になっています。
● 交通安全祈願殿 高幡不動尊は「交通安全祈願の本山」とも呼ばれています。
* (交通安全祈願受付所)・・・(交通安全祈願殿)・・・(駐車場)
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