天上山・天上公園 |
● 天上山 別名 嘯山(うそぶき山) 山頂には、小御嶽神社が祀られています。 小御嶽神社(こみたけじんじゃ) 境内地 20坪 祭神 磐長姫命・櫻大刀自命・苔虫命 例祭日 6月6日 由緒 寛文8年(1668)5月6日、嘯山山頂に鎮座、勧請。 北麓農民は、農閑期には富士山に入山して木を伐り、角材・板材に木挽きをし、 相模・伊豆・駿河方面に販路を開き、業としていた。 そのため富士山入山中の無病息災を祈り富士山五合目に小御嶽神社を創建した 郷に残る家族は入山者の無事を祈願するために里宮志向から富士と対峙するこ の地を選び分祀し祈願所としたと伝う。 八王子・筒口神社 宮司 平成21年1月30日 平成18年度〜20年度 奉賛会 御祭神は姉妹神である姉・磐長姫命(いわながひめのみこと)と妹・桜大刀自命(さくらおおと じのみこと=木花開耶姫命/このはなさくやひめのみこと)、そして父・苔虫命(こけむしのみ こと=大山祇命/おおやまつみのみこと)であり、富士山五合目・小御嶽神社の代詣社として 崇敬され、神徳は、家運隆昌、交通安全、延命長寿、縁結びとされています。 この3人の神様にはこんな話が残されています。 その昔、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が絶世の美女・木花開耶姫を娶る際に、父・大山祇命は 姉である磐長姫も共に奉ろうとしました。 ところが尊は木花開耶姫のみ召されたため磐長姫は大いに恥じ、以後世の人の良縁に尽く したということです。 そこから磐長姫命は特に縁結びの神様として広く慕われております。
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● 天上公園 太宰治の名作「かちかち山」の舞台です。 展望台からは河口湖の全景や、富士山が裾野まで見え青木ヶ原樹海も見渡せます。 「縁結び」「無病息災」が叶うという「カチカチ山 天上の鐘」があり、物語にちなんであちこち にタヌキやウサギの人形が飾られいます。 また湖畔からロープウェイで約3分で「富士見台駅」に着き、7月中旬から8月中旬には遊歩 道からあじさいが観賞できます。
*天上山、もう一つの話 カチカチ山としての顔を持つ天上山ですが、もう一つ歴史的には嘯山(うそぶきやま)と呼ばれて いた経緯があり1700年代の史料にその名前が見られます。 「嘯(うそぶき)」とは「口をすぼめて声を出す」「口笛を吹く」「うなる」「ほえる」「声をながくひいて なく」など意味します。 かつて山の南麓では山の形と風のイタズラから虎が嘯くような音がいつも聞こえ、風道と恐れら れたと言われています。 そこから嘯山と呼ばれたというのが名前の由来と言われています。
*昔話「かちかち山」 を覚えていますか? 昔々あり日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。 おじいさんは家に帰り、おばあさんにタヌキ汁を作ってくれるよう頼むと再び畑に出かけました。 ところがそのすきにタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁を作りました。 おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。 そうと知ったおじいさんはおいおいと泣きました。 それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。 タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、火傷の跡に辛子を塗り、舟遊びに誘ってす ぐ沈む泥舟に乗せて(ウサギは木の舟)溺死させ、おばあさんの仇討ちを果たすというお話です
この昔話の舞台と言われているのが天上山です。 ウサギがタヌキの背負った薪に「カチカチ」と火をつける場面のやりとりは有名ですね。 「どこかでカチカチと音がしないかい?」とはタヌキ。 「あれはカチカチ山のカチカチ鳥が鳴いているんだ」とはウサギ背中に火を点けられたタヌキが 「あちち」と叫びながら駆け下りたのがロープウェイの眼下に見えた崖、泥舟に乗ったタヌキが 沈んでいったのが河口湖と言われています。 それにしても昔話「かちかち山」・・・ちょっと残酷な話ですね。
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● 河口湖と太宰治について 太宰治は戸籍名は津島修治、明治42(1909)年青森県北津軽郡に生まれ、青森中学時代に芥川 龍之介(1892-1927)に憧れ文学の道を志しました。 自虐的ですが絶妙な語り口で人間の偽善を告発する作品を数多く発表し、戦後は無頓派文学の 騎手としての役割を担いました。 主著に「走れメロス」、「人間失格」、「斜陽」、「桜桃」などがあります。 (昭和15(1940)年 四方温泉にて)
太宰は昭和13(1938)年29才の時に心身の疲れを癒す為、師と仰ぐ井伏鱒二(1898-1993)に誘 われて河口湖町御坂峠の天下茶屋に滞留しました。 この時の体験を基に「富岳百景」、小説「カチカチ山」(「お伽草子」収 録)が書かれます。 河口湖には太宰が滞留した天下茶屋2階の文学記念室(旧太宰治文学記念 室)に太宰の関 連資料が残されており、その近くには文学碑「富士には月見草がよく似合ふ」([富岳百景]より) があります。 (左/太宰が滞留した頃の天下茶屋 右/御坂峠文学碑 昭和28(1953)年10月31日建立) またここ天上山中腹の央平(ながばたいら)には文学碑「惚れたが 悪いか」(カチカチ山より)があ ります。 御坂峠の天下茶屋までは車で30分ほど掛かりますが央平までは遊歩道を下って20分ほどの距 離です。 在りし日の氏を偲びつつ山を下りながら、ゆっくりと流れる時間と豊かな自然に身を委ねてみて はいかがでしょうか。 (天上山文学碑 平成19(1997)年6月14日建立)
● 小説「カチカチ山」について さて「天上山=かちかち山」説はどうして生まれたのでしょうか? その謎を紐解く一つの鍵が、作家・太宰治(1909〜1948)の存在です。 太宰は自身の小説「カチカチ山」([お伽草子]収録)の冒頭で、<これは甲州富士五湖の一つ の河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるといふ>と書いています。 実は太宰治、昭和13(1938)年に河口湖町御坂峠の天下茶屋に滞留しています。 この太宰の記述がこの説の根拠の一つとなっているようです。 (昭和23(1948)年 人間失格 の執筆の頃 撮影・田村茂) では太宰の小説「カチカチ山」とは、一体どんな小説なのでしょうか。 一言で言うと昔話「かちかち山」の太宰流パロディ版です。 太宰はまずウサギの「残酷な仇討ち」に注目し、この残酷性は年頃の少女に共通するものと 考えました。 次にタヌキの「どんなに懲らしめられてもウサギを信頼してついていく」点に注目し、このひた すらな信頼は年頃の少女に恋してしまった中年の男に共通するものと考えました。 つまり太宰はウサギを美少女、タヌキを愚鈍な中年男として物語を展開していくのです。 男である太宰は、とかくタヌキ(中年男)に同情します。 ウサギの執拗な仇討ちを<武士道の作法ではない>とか、<どだい、男らしくない>と書い ています。 そして小説のラストでウサギに騙されて河口湖に沈んでいくタヌキに、最後のセリフを吐か せたのです。 「惚れたか 悪いか。」ユーモアいっぱいの小説「カチカチ山」、是非一度読んでみてください。 (昭和20(1945)年10月 筑摩書房より発行)
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