(4)大玄関→講堂/襖絵

            



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  ● 大玄関 使者の間
       布袋唐子嬉戯(ほていからこきぎ)の図
          智積院大玄関正面の使者の間に収めてある図は、布袋唐子嬉戯の図、月樵(げっしょう)道人大
          正元年67歳の作、月樵道人は弘化3年(1846)丹波園部在に亀岡藩士田村式部の子として生れ、
          幼き時より画才があり、12歳で京都六角堂、能満寺(随心院末・現在廃寺)大願憲海和尚に従っ
          て得度・僧名宗立・天性絵画を好み兄弟子の懇切な指導を受けて仏画の稽古の傍ら写生を試み、
          写真を研究して陰影法を自得、その手法を仏画に用いたりした。
          住居には不動明王と地蔵菩薩を祀っていた。
          明治以後ドイツ人医師に洋画の手ほどきを受け、更には横浜まで赴いて米人から正式に洋画を
          学び、その後、独力で技法・絵具等を研究し、明治8年京都博覧会で銅碑を与えられた。
          明治14年に京都府立画学校(現在の京都美術大学校)の教師に迎えられた。
          関西美術界の創立・洋画研究所の開設・京都洋画壇の基礎工作に務め晩年は専ら毛筆画に遊
          んだ。   大正7年(1916)7月10日、寂73歳であった。

          子供のにこやかな笑みを持った姿は、平和のしるしである。
          世界では民族紛争や飢餓におびえている姿が一杯。
          子供達のにこやかな笑顔が、また、元気で遊べるような平和で明るい世界を皆でつくりあげよう。

                          


                  


  ● 講堂の襖絵「浄」  後藤順一作 1995年

                  


                          



  ● 講堂の襖絵「百雀図」  後藤順一作 1995年

                  


                  



  * 講堂の廊下を進みます。

               



                 



     


  * 講堂の正面になりました。

                  


  * 出口方面に向かいます。

                  



  * 講堂をでて本坊方面へ。

                          


  ● 延命子育地蔵菩薩 (本坊方面右側)
        お子様の健康増進を祈願し併せて水子精霊をいたします。
               昭和54年2月11日  奉納者 大槻露子

                


  ● 井戸 (本坊方面左側)

                             



                                 


  ● 大日如来 (本坊方面左側)

                              


  ● 総門 (境内から 本坊方面左側)

                          


                             


  ● 大玄関 (本坊方面右側)

                          


                  



  ● 本坊 法務所入口

           



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                                ● (入口へ) ●


 

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