(画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 南大門−→八島社殿−→修行大師像−→八幡宮−→灌頂院 >> ● 南大門(東寺の正門) 東寺の門の中で最も大きく、幅18m余、高さ13m余で切妻造本瓦葺、三間一戸の八脚門で、慶長 6年(1601)に三十三間堂(蓮花王院)の西門として建てられたものを、明治28年(1895)に南大門 として移築したものです。 南大門から北へ真直ぐに金堂、講堂、食堂と続き、東に五重塔、西に権頂院、御影堂が建ってい ます。 * (ふり返ると) ● 八島社殿 祭神は東寺の地主神とも、大己貴神(おおなむちのかみ)とも言われる。 八島社と言うのはわが国を大八州瑞穂国(おおやしまみづほのくに)と言うところから起こった社号 である。 それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており、弘法大師はこの神の夢想を被ってここには伽藍 建立に先立ち、この神へ寺門造立成就、方位安全、法道繁盛の祈願をされ、地主神とあがめられ たと伝えられる。 ● 修行大師像 ● 東寺鎮守八幡宮 鎮守八幡宮は弘仁元年(810)の薬子(くすこ)の変にさいして、弘法大師空海が八幡神をまつり社 を建立したことにはじまるとされています。 本尊の八幡三神像は、一本の霊木から三躯を造りだした貴重なもので、秘仏として早くから大切 に伝えられてきました。 南北朝時代に東寺の内外で戦闘が行われた時、鎮守八幡宮から神矢が飛んで、東寺に陣をお いた足利尊氏が勝利しました。 この戦勝にちなんで、以降、足利幕府は東寺を保護し、鎮守八幡宮はたいへん栄えました。 明治元年(1868)には、南大門や八島社とともに焼失するなどの憂き目をみましたが、平成4年 (1992)に再建されました。 ● 灌頂院 (灌頂院・東門・北門は江戸時代建築の重要文化財) 弘法大師が修行した唐の青龍寺にならい、密教教義上から重要な道場として、承和10年(843)頃 東寺第二祖の実恵大徳によって建立されました。 その後行くたびかの焼失と再建が繰り返され、現在の灌頂院の建物(寄棟造り)は、江戸幕府第3 代将軍 徳川家光が弘法大師八百年御遠忌の1634年(寛永11年)に再建したものです。 * (北門) * (東門) (南大門と金堂の間のパノラマは載せてあります) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |