(画像をクリックすると、大きくなります) |
<<駐車場−→八幡堂−→弁慶堂−→金剛宝地蔵−→雷神塔−→東物見台>> ● 中尊寺表参道の「月見坂」のすぐ脇にある「中尊寺第1駐車場」に駐車。 広い駐車場で、たくさんのお土産店やお食事所が並んでいます。 標識(中尊寺表参道の月見坂登口)に従います * (第1駐車場)・・・(標識/中尊寺表参道 月見坂登口) ● 表参道「月見坂」へ。 月見坂は、中尊寺入り口から本堂へ続いています。 両側にそびえ立つ巨木は樹齢300〜400年の杉で、遺跡を保護するために伊達藩により植樹されたもの と言われています。 * (↑金色堂800m 本堂560m)・・・(関山中尊寺) * (右画像/金剛山塔) ● 月見坂を進むと、左側に石碑(月見坂 八幡堂)がたっています。 左折すると茶店があります。 * (月見坂)・・・(石碑/月見坂八幡堂) ● 左折すると茶店があり、「お地蔵がたっています。 ● 八幡堂 八幡堂の由来 やおよろずの神々のなかで、八幡神は最も早く仏教にとけ込み、八幡大菩薩と尊崇されてまいりま した。 祭神を応神天皇とする伝統的信仰から、皇室の祖神、国家の守護神として、ことに源氏の氏神とし て、八幡宮は諸国に造建され、広く信仰されてきました。 天喜5年(1057)鎮守府将軍源頼義、義家、阿部氏追討のためこの地に至り、ここ月見坂で戦勝を 祈願しました。 いわゆる前9年の戦いです。 かくて、長い戦いを収め、勝利の記念に京都石清水から迎えたのが鎌倉の八幡宮です。 (後それを頼朝が鶴岡に移建) 鎌倉時代「吾妻鏡」のなかに「中尊寺年中例の法会」として「八月放生会」と見えます。 これは8月15日の宇佐(九州)石清水、鶴岡など八幡宮における放生会の事例からも、当社八幡神 前における法会厳修とみなされ、以って当山におけるその神威の主要なることがうかがわれます。 明治の神仏分離で、八幡宮と称し阿弥陀如来尊像も合祀庶人の熱心な御信仰ををいただいており ます。 邦世記 別當 中尊寺塔中 別所坊 敬白 ● 月見坂に合流し、総門跡を入り茶店(弁慶園)通過。 * (総門跡)・・・(茶店/弁慶園) ● 標識(←弁慶堂)に従い左折しし、「弁慶堂」へ。 * (←弁慶堂) ● 弁慶堂 弁慶堂由緒 この堂は通称辧慶堂という文政9年(1826)の再建である。 藤原時代五万鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を杞愛宕宮と称した傍らに義経公と辧 慶の木像を安置す。 辧慶像は、文治5年4月高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿 なり、更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある、代表的鎌倉彫 である。 そばに「六道能化の金剛宝地蔵大菩薩」と「ご守護の雷神塔」が。 * (六道能化の金剛宝地蔵大菩薩)・・・(ご守護の雷神塔) ● 東物見台 弁慶堂と参道を挟んだ場所にあります。 今は見ることはできませんが、眼下に広がる景色の右手に、弁慶が立ち往生し最期を遂げたとされる衣 川と北上川の合流地点に中洲があります。 弁慶のお墓は、月見坂登り口手前に五輪塔が残っています。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |