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<<野外能楽殿−→明治天皇天覧所−→白山神社−→白山神社十二支一代守護神社 −→西物見台−→かんざん亭−→遠藤梧逸句碑−→西行法師歌碑>> ● 釈迦堂のさき左側に中尊寺鎮守白山神社の赤い鳥居がたっています。 中尊寺鎮守白山神社 国重要文化財指定 野外能楽殿 赤い鳥居をくぐり白山神社に向かうと右側に「白山神社掲示板」があります。 白山神社境内の野外能楽殿について 評論家亀井勝一郎氏は左記の如く脳がうでんを賞讃されている。 野外に在るので明るく開放的だ 堅牢で荘厳なすがたも實にいいが位置がまたすばらしい この位置と方角を選んだ人は詩人にちがいない (中略) 私が能楽師なら一生に一度ここで舞うことを望むだろう ● 国重要文化財指定 野外能楽殿 能舞台は嘉永6年(1853)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたものです。 現行の能舞は天正19年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗両公が当社参拝の節観覧に供し依頼 続行し今日に至っています。 明治9年秋には、明治天皇が御東巡の折りに当社に御臨幸あらせられ、古式及び能舞を天覧あら せられました。 春の藤原まつりで古実式三番(こじつしきさんばん)と神事能(じんじのう)、秋の藤原まつりで能 楽が、中尊寺一山の僧侶の方たちによって神前に奉納されます。 8月の薪能では、喜多流の能と泉流の狂言が披露されます。 神楽殿は茅葺の寄棟屋根で欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛かり、鏡板に描かれた「老 松」など見所の多い建物です。 神楽殿前に、明治天皇天覧所がありました。 ● 白山神社 仁明天皇の御代嘉祥3年(850)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し自らは 十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号された。 配佛としては、橋爪五郎秀衡の持佛で運慶作の正観音と源義経の持佛で毘沙門天が配案されてあり ましたが、嘉永2年正月8日(1849)の火災で焼失した。 現在ある能舞台は嘉永6年(1853)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたものであります。 (平成15年国の重要文化財指定) 現行の能舞は天正19年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗両公が、当社参拝の節観覧に供し依頼続 行今日に至っている。 明治9年秋には、明治天皇が御東巡の折りに当社に御臨幸あらせられ、古式及び能舞を天覧あらせら れました。 平成15年7月 茅の輪くぐりと人形祈願 茅の輪くぐりは古来より日本に伝わる罪・けがれを祓って清浄な心に生まれ変わろうとする禊祓神事 に端を発しています。 それをいつの頃か神社の神事としてとり行われるようになりました。 参道(産道)を通り茅の輪をくぐる事は、生まれたばかりの純粋無垢で罪・けがれの無い赤ん坊の様に 清浄な心に生まれ変わろうという事を意図しています。 また、茅の輪くぐりの神事につきものとして人形に願いをたくしてお祈り致しましょう。 茅の輪は正面より一度くぐり参拝後、左右どちらかに抜け、お戻りください。 参拝の作法 神前に進んで軽くお辞儀をします 二拝 深く二度お辞儀をします 二拍手 手を二回打ちます 一拝 もう一度深くお辞儀をします 神拝詞(となえことば) この神社に鎮まります大神を始め八百万神々等 祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ 中尊寺鎮守 白山神社十二支一代守護神社 十二支生まれ歳守護神社をお詣りし、日々の御安泰・諸願成就をお祈りし、守護大神さまの御加護を 受けましょう。 大神さまは、誠の心を持ち信仰する人をお守りし、力を添え助けてくださいます。 ご家族のみんなの分も受けましょう (全景は、パノラマでご覧ください) ● 西物見台 ● かんざん亭 1階・・ハイビジョン「皆金色の極楽浄土」を随時上映しています。 休憩所として利用でき、食事をとることもできます。 2階・・教育旅行・研修などに利用できる「学習ホール」があります。 東物見手前まで戻ると ● 遠藤梧逸句碑 清衡の 願文の意の 大文字 ● 西行法師歌碑 きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべし とは 西行 建久元年(1190)2月 73歳 天養元年(1144)頃 奥州初度の下向 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |