武田信玄公が暮した「躑躅ヶ崎の館/つつじがさきやかた」(現在の武田神社)をぐるりと囲んだ 山々のひとつの「湯村山」の頂きに信玄の父「信虎」によって、防衛の要として湯村山城を建設 しました。 山頂は湯村山城の本丸跡ですが面影を偲ばせる物はなく、唯一、井戸が残っている程度です 展望台からは、天気がよいと正面に富士山や甲府盆地が広がるそうですが、今日は雲が多く て霞んでいます。 ● 白山八王子神社の由来 ○御祭神(八桂) 高天原の天の安河を挟んで天照大神と素戔嗚尊(スサノウノミコト)との間で交わされた身の 潔白を巡って誓約(うけい)の際に生まれた三女神並びに五男神(古事記) ○三女神(後の宗像三神) ・奥津島比売命(オキツシマヒメノミコト) ・市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト) ・多妃昆売命(タギツヒメノミコト) ○五男神 ・正勝吾勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノホシホミミノミコト) ・天之菩卑能命(アメノホイノミコト) ・天津日子根命(アマツヒコネノミコト) ・活津日子根命(イクツヒコネノミコト) ・熊野久須昆命(クマノクスヒノミコト) ○御由緒 日本は古来、山岳を聖地として敬う信仰があり、それに神道や仏教が習合(混清)してきた歴 史がある。 甲斐の国では、富士山、金峰山、鳳凰山等の霊峰を中心に山岳宗教が盛んで特に金峰山と 富士山はその中心であった。 甲斐の国の北鎮の金峰山は、古く山頂に神仏習合の蔵王権現(吉野金峰山より)を祀り甲斐 ・信濃の水源地として水霊信仰の厚き聖地(平安時代から鎌倉時代)であった。 明治元年一千有余年に渡って行われてきた神仏混淆(水波の関係)が禁止され、二者分離政 策で呼称が「神名」に改められた神社である。 金峰山ルート上に位置し、甲府盆地を眼下に見、正面に霊峰富士を仰げる絶景の地であり風 化された土壌中に比較的石英が残存し、白色を呈するのをもって白山八王子神社と称される 古く稲作が主産業であったこの地の村民並びに遠近の宗教者によって、より厚く祀られ今日 に至る。 例大祭は四月の第一日曜日。 ○御神徳 五穀豊穣・病気平癒・家内安全・交通安全(陸海空路) ● 武田の杜 甲府市街地を見下ろす盆地の北側には、東西へ伸びる緑豊かな森林地帯があり、この恵まれ た自然の中には、愛宕山・こどもの国・少年自然の家・つつじが崎自然園・樹木見本園・武田神 社・積翠寺温泉・要害山・鳥獣センター・健康の森・緑ヶ丘動物公園など、いくつもの野外レクレ ーションの拠点施設が整備されています。 更にこれらの拠点施設をとりまくようにして、甲斐の生んだ英雄武田家三代(信虎・信玄・勝頼) に縁りの深い史跡や文化遺産がたくさんあります。 山梨県では、この恵まれた大自然を21世紀の県都にふさわしい都市林として後世の人々に残 すため樹木の植栽や遊歩道、あづまやの整備をすすめています。 区域面積・・・・・2500ヘクタール 主な整備施設・・遊歩道・あづまや・樹木見本園・駐車場・公衆便所・ベンチ ● 湯村山1号墳 この古墳は、今から約1300年ほど前に造られた古代人のお墓です。 普通の古墳が土を盛り上げて築かれるのに対して、この古墳は礫を積み上げて造っていると ころから「積石塚」と呼ばれています。 積石塚は、山梨県でも甲府盆地北部の山麓部に限って集中してみられるもので、現在、横根 ・桜井両町を中心に180基余りが確認されています。 形態的にめずらしい積石塚が、こんなに集中して残っている地域は、外には長野県の松代盆 地があるだけで、全国的にみても非常に貴重な文化財といえるでしょう。 湯村山には、この1号墳を含めて、東南麓に5基、西麓の塩沢寺裏手に2基計7基の積石塚が 知られています。 甲府市・甲府市教育委員会 ● 千代田湖(ちよだこ) 山梨県甲府市の北西部にある湖(面積約247.5平方メートル)の農業灌漑用人造湖です。 正式名称は丸山貯水池で、ヘラブナ釣りのメッカとして知られています。 (アクセス) 行き方は沢山あります。 「白山の森入口コース」に記載してありますので、参考にしてください。 (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |