(5)夕焼小焼館 2

         



                         (画像をクリックすると、大きくなります)

  

                     << 夕焼小焼館 中村雨紅展示ホール(2) >>

   * ふる里と母と


                  


          「ふる里と母と」の碑(故・小川叉一郎氏の回想)
          ・・・とんとん拍子に(興慶寺に)「夕焼けの鐘」が出来て、同時に、「ふる里と母と」の碑を。
          「これがおれの最後のうただろうと思う。ぜひ、これだけは残しておきたい」って。
              ・・・中略・・・
          ・・・あれ(「ふる里と母と」の碑)は、ふる里恩方の石でやろうっていうことで、恩方の石に全部彫り
            込んでありますがね。(以下略)         (「追想−中村雨紅」)


                         


       キュウピイさん
           大きな目目して 元気よく
           両手を拡げて 力(りき)ンでる キュウピイさんを見ていると ほんとに可愛くなってくる。

           キュウピイさんは セルロイド
           ゆうべ 私と 玩具屋(おもちゃや)の 店から一緒に 来たのです すやすや夢見て お疲れか

                山本正夫作曲。昭和9年山本正夫薯「歌唱ペイジェントの研究」に掲載

       母さん泣いてるね
           かあさん かってで 泣いてるね  玉葱 切り切り 泣いてるね
           切れば 切るほど 目にしみて   涙 ぽろぽろ 泣いてるね。

           かあさん お肉は ここですよ   おジャガは わたしが 切りますよ
           ライスカレーは おいしいね   坊やは ニコニコ まってます。    昭和33年作

       みんなかあさんあるんだね
           つくしん坊は 誰の子だ  春の野原の 杉菜の子。

           数の子だれの子 どこの子だ  北の海の子 ニシンの子。

           お玉杓子は 誰の子だ   お玉杓子は 蛙の子。

           つくしん坊も 数の子も   お玉杓子も あるんだね。

           みんなかあさん あるんだね  おヘソが ないのは 誰だろな。   昭和45年2月作


                              


       ふる里と母と
           今も帰ればふるさとの  岡に残るよ傘松よ  村のはずれの閻魔堂(えんまどう)
           ネンネコ サラサラ トントロリ  川の瀬音も子守歌。

           おいしそうでも蛇苺  きれいな実でも牛殺し  その葉取るなよ実を取るな
           いつもやさしくあたたかく   今も聞こえる母の声。

       子供の歌
           僕等は子供だ 春の野に  ほやほや出たての草の芽だ
           今に見ていろ 驚くな  広い世界を一面に  青く色どる草になる。

           僕等は子供だ まだちさい  ほんとの新芽の若枝だ
           今に見ていろ 驚くな  青空までも伸びあがり  立派な 大きな木になるぞ。
                       岩本恒雄作曲。昭和13年放送



             


       魔法の鍵
           魔法の鍵のある家は   荒野の涯の一軒家
           千年たっても開きもせず   怖いお夢に見るばかり。

           魔法の銀は鍵の鍵   金の小凾にに入れてある
           誰がどうして使うやら   魔法使いが知るばかり。

           魔法の鍵を手に持てば   夢の小窓に火が燃えて
           お家は忽 畑の中    闇夜の空も焦げてゆく。

       私の母さん
           私の母さんどうしたらう   夕日が落ちたがまだ来ない   お寺の鐘も鳴りだした。

           黄金の雲に 黒い森   鳥の母さん 歸ったが   私の母さんまだ見えぬ。

           夜風冷たく戸をゆする   母さん若しやと出て見れば   誰もいもせず 音ばかり。

           日は暮れ果て々星一つ   母さん来るやら来ないやら   一人じゃ怖いな淋しいな。



   * 叙情の世界


                                  


       「夕焼け小焼け」の時代
           −童謡には夢があふれていた−(中村雨紅談)
           ・・・私の童謡は叙情的なものばかりだが、現実に材をえたものでも、あくまで叙情の夢を盛り
           たいというのが、私の一貫した作詞態度だった。
           さいきんは童謡界も低調になって、子どもの相手にされなくなってしまったが、これは、詩とし
           ての言葉の味わいを失い、擬音や擬声でごまかしているからである。
           もう一度、子どもの夢を盛り込んだ、叙情の世界に帰りたいものである。
                    (「信濃毎日新聞」昭和34年4月14日)


               


       鮠(はや)釣り
           鮠釣りに行く川は  何時も清い瀬頭  山と山の狭まった谷川

           岸は篠藪  蔦葛が下がっている  胡桃が零れている。

           きらっと光る銀鱗  あっ 釣れたよ  石を渡って  もう帰ろうよ。

           鮠釣りに行く川は  何時も清い瀬頭。
                昭和6年作。「歌謡年鑑」所蔵。  故郷、恩方川は、北浅川とも案下川とも言う。

       ジャガ薯の花
           薫風が渡る六月  巣立の雛鳥が可愛い  チッ チッ チッ チッ  毎日の畑仕事は楽しい。

           六月の花だ  麦秋の隣に  白々と咲く ジャガ薯の花  何という鄙風の 素朴な花だろう
           誰も てんで 相手に しない ようだが こんなに しみじみと
           見られる花が ほかにあるだろうか。  人間の 世界にも ジャガ薯畑が欲しい。
                      昭和30年作。厚木東校「東高新聞」に発表

       おとっつあんは
           おとっつあんは  向うの山に いるんだね  炭焼きして いるんだね
           ほーら 木を伐る音が  コーン コーン コーン。

           おとっつあんよ  お昼のお弁当 持ってきたよ  木の枝へ かけておくよ
           ほーら この木の枝だよ   コーン コーン コーン。

           おとっつあん  おらア かえるよいいかい  おっかさんが そういってたよ
           ほーら けがァするなって  コーン コーン コーン
                      昭和32年作。 総和42年、海沼実作曲


                        


       十か十一残しとけ
           柿の実とるなら皆とるな  十か十一の残しとけ  毎年よく来る仲よしの
           あの鵯鳥(ひよどり)が来るだろう  今年も食べに来るだろう。

           柿の実熟れたぞ熟したぞ  とろけて ほっぺが飛ぶように
           残しておいたぞ鵯よ  食べて ピヨピヨ笛吹いて  遊んで行けよ 鵯よ。

           狭い庭ではあるけれど  たった一本伸びている
           私と柿と鵯と  秋の夕日の茜雲  今日も楽しい日が過ぎる。
               昭和43年11月作。斉藤高順作曲。  詩と音楽の会編「新しい日本の歌」に掲載

       僕の村も変わった
           みどりの山に 小鳥も鳴いて  兎や栗鼠も とんで はねてて  みんな友達 仲好しだった
           今は団地だ アパートばかり   変ってしまった ふるさとすがた。

           秋は黄金の波うつ田圃  麦わら帽子を あみだにかむり  バッタやトンボを追いかけまわし
           今は工場の スモックばかり   変ってしまった ふるさとすがた。

           追分道のお地蔵さんも  セミもチョウチョも小川の小鮒も  元の友達どこえか行って
           自動車ばかりが ドナッテ通る  変ってしまった ふるさとすがた。   昭和44年2月作




                          (画像をクリックすると大きくなります)


                                 ● (入口へ) ●


    

HTML Builder from Excel   作成:QQQ