(1)三解脱門→鐘楼堂

                          


    (1)グラント松・・・(2)阿波丸の碑・・・(3)め組供養碑・・・(4)筆塚・・・(5)江戸ひがん枝垂れ桜

    (6)梅・・・(7)写経塔・・・(8)故長谷川一夫丈遺愛の桜・・・(9)お歌の由来


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  ● 大門駅から増上寺に向かい「大門」を通過すると、「東京タワー」がよく見えます。

                              


  ● 風景浮世絵の名手 初代安藤広重が、あおの最晩年の安政5年(1858)に描いた芝明神と増上寺で、江
     戸の百景を選び、更に追加したものであろう。
     増上寺は徳川将軍家の菩提寺であって江戸時代の初めからの名所でありその僧たちや、今と変わら
     ぬ参詣見物の大勢の人たちの姿が描かれている。

              


  ● 三解脱門
       慶長16年(1611)に徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭・中井大和守正清によって建立され
       元和8年(1622)に再建されました。
       この門は、僧上寺で唯一の江戸時代初期の面影を残す建造物で、重要文化財に指定されています
       三解脱門は、別名「三門」と呼ばれ、三つの煩悩「貪欲(とんよく・むさぼり)、瞋恚(しんに・いかり)」、
       愚痴(ぐち・おろかさ)」の三悪を解脱する悟りの境地を表しています。
       建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗。
       唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、見事な美しさを見せています。
       その大きさは、間口10間余(約19m)奥行5間(約9m)高さ7丈(約21m)の二重建て構造。
       さらに左右には3間(約5.4m)の山廊を有しています。
       上層部(桜上)内部には、中央に釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像が安置されています。

                            


                      


                            


                  


                         


    * (境内から)

                             


  ● グラント松
       米国第18代大統領グラント将軍は明治12年7月国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し記念として
       この樹を植えました。

                      


  ● 阿波丸の碑
       阿波丸は第二次世界大戦も終わりに近い昭和20年4月1日夜半台湾海峡で米国潜水艦クイン・フィ
       シュ号に不法撃沈された。
       同船は連合国側の要請に応じ日本軍占領の南方諸地域に抑留されている捕虜および民間人に對
       する救恤品の輸送に當っていた。
       国際法でその安全が保障されていたにもかかわらず、この悪魔のような所業により遭難者の数は
       二千有餘名、世界史上最大の海難事故となった。
       加害者に對する責任の追求や賠償交渉も進まないうち、同年8月わが国は無条件降伏し、軍政下
       の日本政府はなぜか事件の真相究明せず米国に對する賠償請求権を国会の決議として放棄した
       いまや平和の時代となり、経済は復興したが戦争の悲惨と虚しさは私たちの胸を去らず、帰らぬ人
       のことを思い続け、悲しみを懐いて30餘年、事件の謎は今なお解けず、船の引き揚げ遺骨拾集も
       実行に移されない間まである。
       33回忌に当たり、悲憂を文に記し世に訴えるとともに、法要の心とするものである。
                       昭和52年4月1日    阿波丸事件犠牲者 遺族一同

       犠牲者等の遺骨は中国の手により引揚げられ、日本政府派遣の遺骨受領訪中団に引渡された。
       阿波丸遺族会代表はこれに参加し、かつ分骨をうけ、納骨法要を営んだ。
       遺骨の拾集は遺族の35年の永きに渉る悲願であり、これが実現に盡力された中国の関係者に対し
       哀心より感謝をおくる。
         昭和54年7月5日 納骨 昭和55年4月1日 納骨 昭和56年5月29日 納骨 阿波丸遺族会

                  


                        


  ● め組供養碑
       境内での力士と鳶の「め組」との大喧嘩は「め組の喧嘩」として有名で、歌舞伎にもなっています。
       享保元年(1716)建立。
       増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉難者・物故者の供養のために建てられた。

                     


  ● 筆塚  心と創造
       学びの精神はいつの時でも人を育み  人とともに歩んでいきます
       その歩みの中で心豊かに  それぞれの人生を創造していきます
       学びとは心の糧であり創造の源です  努力と研鑽 勇気と希望 自信と志の象徴です
       碑に刻まれた「心と創造」が  明日へ歩む子どもたちの人生の標となるよう
       ここに努力の軌跡を残し  今 感謝の気持ちを込めて  学び具を奉納します
         子どもたちへ
         学べよ 務めよ 今がその時です
                     平成16年2月吉日  練成会グループ

                    



                         


  ● 鐘楼堂(しょうろうどう)
       寛永10年(1633)に建立されましたが焼失、戦後に再建されました。
       納められている大梵鐘は、延宝元年(1673)に品川御殿山で椎名伊予守吉寛により鋳造されました。
       徳川四代将軍家綱公の意向で奥方の「かんざし」まで寄与され、7回の鋳造を経て完成したもので、
       江戸三大名鐘の一つに数えられ、東日本では最大級として知られています。
       その大きさ、高さ1丈(約3m)重さ4000貫(約15トン)の大鐘です。
       その鐘の音は、時を告げるだけではなく、煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと誘います。
       江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」・「江戸七分ほどは
       聞こえる芝の鐘」・「西国の果てまで響く芝の鐘」等と詠われ、江戸庶民に親しまれてきました。

                    


                          


    * (江戸ひがん枝垂れ桜)

                          


    * (梅)

                  


  ● 写経塔

                                      


  ● お歌の由来
          月かげのいたらに里はなけれども  ながむる人のこころにぞすむ
       感無寿経に説く「光明は遍く十方世界を照して念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」の意を法然上
       人がお歌に示されたものである。
       浄土宗の宗歌になっている。       寄贈 千代田水産株式会社

                



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