(3)熊野神社→休み処/芝緑

                           



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  ● 熊野(ゆや)神社
       元和10(1624)年、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請
       したものです。
        『熊野』は「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼称がありますが、「ユヤ」権現として親しまれています。

                  


    水舎
       三本足の烏「八咫烏/やたがらす」
         「神々のお使い」   日本書紀によると
            神武天皇が天下統治のため紀の国(和歌山県)の熊野に上陸した際に、東征中の荒れすさ
            ぶる中で道に迷った時、日輪の中の天照大神より
              「天から八咫烏を使わそう。その八咫烏が道案内をするであろう。八咫烏の飛びゆく後ろ
              に付いて行きなさい。」
            というおさとしがありました。
            そうして無事山越えを出来たという。
            まさに神のお導きという言い伝えが残されています。
        「日輪の中に三本足の烏」
            ルーツは中国で、太陽の中に三本足の烏が住む(おそらく黒点であろう)と考えられ、太陽は
            烏によって空を運ばれるとも考えられました。
            烏の足を三本とするのは、二本足は陰数の為、陽の数である「三」こそが太陽にふさわしい
            と考えられます。
            日本に於いても、三本足の烏が太陽の象徴であると伝わったと推測されます。
            また時代によっては、「地・仁・勇」或いは「天・地・人」を表すとも言われています。
            日の神、天照大神の子孫である天皇が三本足の烏と八咫烏が習合し、熊野の烏も三本に
            なったものと考えられます。
        「シンボルマーク」
            天皇の即位の礼に立てられるのぼりの紋様には八咫烏が使われたそうですし、また天皇の
            礼服の紋章には、日輪の中に八咫烏の刺繍が施されているそうです。
            近日身近なところでは、サッカー日本代表が着ているユニホームの胸に付いておりますマー
            クも日本サッカーの成長と勝利への導きを願っております。
            私共大本山増上寺みこし講も、昭和19年に発足当時より八咫烏を代紋とさせて頂いており
            ます。
            お祭りの御神輿を通じて、結集した400余名が大本山増上寺より護国豊穣、天下泰平を導
            いて頂きたいと祈願しております。
            このたび、みこし講発足30年を記念して熊野神社(境内)修復改修改修工事をさせて頂きま
            した。
            今回の工事の際に、みこし講の大柱の前に、この水舎に向かって3箇所の烏の足跡(保存
            有)が付いていたという縁起のよい事がありました。
            当熊野神社にも本物の八咫烏がいると信じてみこし講一同も八咫烏のお導きを頂いてより
            高い志をもって、一層の努力を心掛けてまいります。
            皆様のご多幸とご発展をお祈りいたします。
                          大本山増上寺熊野(ゆや)みこし講  世話人 益子良道

                           


                  


    熊野三所大権現宮(ゆやさんしょだいごんげんぐう) 由来記
        増上寺鎮守中最大なものとして、本殿拝殿あり、大きさ不明なれど東照宮に次ぐものなりと云う縁
        山志によれば、火災ありしも、明暦以来続けたる事なし。
          御神体は  熊野本宮大社  家津御子大神(ケツミコノオオカミ)
                  熊野那智大社  大己貴命(オオナムラノミコト)
                  熊野速玉神社  伊弉諾尊(イザナギノミコト)
        以上の三御神体を祀り、故綿貫次郎翁のご指導により「大本山増上寺熊野みこし講」を起こし、護
        持・奉賛しております。
        祭禮は毎年3月3日に古式にのっとり行われていましたが、近年は4月第3日曜日に定まる。
                               大本山増上寺熊野みこし講

                  


                  


                  


    西暦1974年(昭和49年) 故 綿貫次郎翁(通称おじいちゃん)は毎日増上寺安国殿に通い、奉仕活動を日
    課としていました。
    増上寺の繁栄を願い、若者達の力でお手伝いをしようと関係のある神輿仲間に声をかけ「熊野みこし講」
    を発足し行事に参加する様になりました。
    増上寺の鬼門である熊野神社の社が老朽化したため復興を願いみこし講の手作りにて木の鳥居を建立
    少しずつ改修を加え、現在の社殿及び玉垣が完成したのです。
    江戸の町東京を愛する若者達の結集、これが「熊野みこし講」です。
    綿貫のおじいちゃんの言葉、「身をもって奉仕する気持」を受け継ぎ、末永く後世につないで行ける様ここ
    に40周年を記念した石碑を建立いたします。
                      平成26年4月吉日 大本山増上寺 熊野みこし講

                            


  ● お休み処 芝緑

                          



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                               ● (入口へ) ●

 

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