(5)徳川将軍家墓所→貞恭庵

                      



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  ● 西向き観音像(江戸札所第二十一番西向観音  港区の文化財)
       西向き観音は、現在三康図書館のある場所にあった観音山に西に向けて安置されていたもので、
       現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東向きに安置された四菩薩像とともに、その間を通る街
       道を見下ろす形をとっていました。
       将軍家の菩提所である増上寺は格式が高く庶民には近寄り難いところもありましたが、この像は安
       国殿に安置されている黒本尊とともに多くの庶民の信仰の対象として今に続いています。
                        平成4年3月30日   港区文化財総合目録登録

                         


                             


                                 


  ● 徳川将軍家墓所へ向かいます。

                          


                  


  ● 徳川将軍家墓所
       戦前、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)とも呼ばれ、増上寺大殿の南北(左右)に建ち並んで
       いました。
       墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設からなり、当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗
       な霊廟は、いずれも国宝に指定され格調ある佇まいでした。
       その後昭和20年(1945)の空襲直撃で大半が焼失し、残った建物もその指定を解除されました。
       正面の門は、旧国宝で「鋳抜門(いぬきもん)」といわれ、文昭院殿霊廟(徳川家六代将軍家宣公)の
       宝塔前「中門」であったものを移築しました。
       左右の扉は共に青銅製で5個ずつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれ、その荘厳さ
       は日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。
       墓所に、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の6人
       の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公正室、家光公の実母、お江)、静寛院宮(十四代家茂公正室和
       宮)ら5人の正室、桂昌院(三代家光公側室、五代綱吉公実母)はじめ5人の側室、及び三代家光公
       第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

                    


    * (鋳抜門)

                      


                             


  ● 四菩薩像(港区文化財)
       正面から 普賢菩薩(ふげんぼさつ  辰年守本尊)
              地蔵菩薩(じぞうぼさつ  丑寅守本尊)
              文殊菩薩(もんじゅぼさつ 卯年守本尊)
       もとはこの場所の北西、地蔵山に安置されていた。 西向の観音像に対し東向きであった。
       正嘉2年(1258)の作と伝たえられる古像である。     奉納 杉浦米  奉納 藤城里花

                      


  ● 貞恭庵(ていきょうあん)
       幕末の劇的な時代を生き抜いた徳川家十四代将軍家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりの茶室。
       昭和55年(1980)に移築・改修されました。
       その際に和宮さまの戒名「静寛院宮贈一品内親王好譽和順貞恭大姉」から「貞恭庵」とつけられまし
       た。
       四畳半の二間の茶室からなる建物です。
       増上寺では和宮さまの遺品と伝えられている袈娑、琴、手紙、漢詩の書掛軸などを所蔵しています。

                    


  ● 清淨観世音菩薩 

                            


  ● 大納骨堂
       大納骨堂は昭和8年(1933)に建立されました。
       御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像です。
       戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55年(1980)に現在地に遷座、開眼供養が厳修されま
       した。
       堂内には有縁無縁のご本骨、ご分骨が納められ、狛犬に守られてお祀りされています。

                   


  ● 増上寺景光殿(旧広書院) 表門 (港区指定有形文化財 建造物)
       桟瓦葺の屋根を持つ1間1戸の四脚門(平唐門形式)です。
       一時期、明治42年(1909)の火災により移転した護国殿の中雀門として、三解脱門を入った左手に立
       地していましたが、建築当初の位置は明らかではありません。
       現在地には昭和53年(1978)に移築されました。
       正面の蟇股には表裏両面に三葉葵紋が刻まれ、側面の蟇股は内側のみに葵紋が彫られ、外側は
       板状となっています。
       また鬼瓦と留蓋瓦にも葵紋が付されます。
       虹梁絵様の形は17世紀末から18世紀前期の特徴を示し、増上寺水盤舎(清揚院霊廟から移築)の
       ものに類似しています。
       徳川家光次男、甲州宰相綱重(1644〜78、法名清揚院殿)は、宝永2年(1705)に伝通院から増上寺
       に改葬されており、この門に近い時期に建てられたと考えられます。
       本建築は、徳川家菩提寺として隆盛を誇った増上寺の住時の華麗さを伝える数少ない遺構の一つ
       として貴重です。  平成17年10月25日  港区教育委員会  文化財を大切にしましょう

                 


  ● 圓光大師堂(えんこうだいしどう)
       この御堂は平成23年(2011)宗祖法然上人800年御忌を記念し、総本山知恩院門跡第86世中村康隆
       猊下と当山法主第87世成田有恒台下との尊い結縁が実を結び、時の執事長江口定信上人が実務を
       担当、続いて楠美執事長が後を襲ぎ、平成18年11月25日知恩院より法然上人の御廟の御浄砂を拝
       領しました。
       成田台下は直ちに「御身柄(おみがら)」と命名、この縁を承へ奉安する御堂の建立を発願し平成21年
       9月に竣工しました。
       圓光大師堂の概要は木造平屋建、妻入入母屋造本瓦葺、向拝軒唐破風付、間口四間(約8m)、奥
       行は裏堂を含み8間(約13.5m)、高さ9.5mの御堂です。

                            


                  



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