(画像をクリックすると、大きくなります) << 智恩寺駐車場−→智恩寺(別途記載)−→廻旋橋−→昭和天皇行幸の御歌碑−→ −→丹後の天橋立/黒松−→陸前の松島/赤松−→安芸の宮島/黒松−→ −→日本の道100選 顕彰碑−→九世戸の松−→浪切(浪関)地蔵 >> ● 智恩寺駐車場に駐車し、智恩寺(別途記載)でお参りしていきます。 * (智恩寺駐車場) ● 禅臨済天橋山 智恩寺 (宮津市字文珠) ここ智恩寺は「知恵の文殊」とよばれ、またこのところの名から「切戸の文殊」・「九世戸の文殊」 とよばれて古くからの信仰の厚いところであった。 寺伝によれば、その開創は千余年の昔、延喜年間という。 世に三文殊と称するのは、ここ智恩寺に加えて奈良県桜井市の阿部院・京都市左京区金戒光 明寺(あるいは、これに代えて、山形県高畠町大聖寺)の三寺の文殊のことである。 国指定の特別名勝「天橋立」というのは、海中に3.6kmにわたって連なる砂嘴の部分だけでな く、それを展望できる成相寺山麓の「傘松」の地、そしてここ智恩寺の境内地をも含めているの である。 寺に伝わる古縁起にも、そもそも、九世戸あまのはしたてと申すは、本尊は一字文殊、鎮守は はしての明神と申す、本地はおなじ文殊にておわします云々と記し、橋立も一体の信仰の地と 考えられてきたのである。 本尊は善財童子・優でん王を従えた文殊騎獅像である。 境内には、本堂をはじめ、山門・多宝塔ほか諸堂が並び、寺だけでなく、地方の歴史を語る多 数の遺物に接することができる。 宮津市教育委員会 ● 智恩寺山門のすぐ先に「廻旋橋」がみえてきます。 ● 廻旋橋 遊覧船/貨物船などの船舶を通すために中心部を軸に回転。この間(数分)、橋は通行不可となり ます。 ● 昭和天皇行幸の御歌碑 めずらしく 晴れわたりたる 朝なぎの 浦わにうかぶ 天の橋立 昭和26年11月13日、昭和天皇が戦後の民情ご視察のため、山陰地方をご巡行になり、当地にご 宿泊の際にご下賜いただいた御歌である 石碑の書は元侍従長故入江相政氏である。 ● 丹後の天橋立/黒松 陸前の松島/赤松 安芸の宮島/黒松 * (丹後の天橋立 黒松)・・・(陸前の松島 赤松) * (安芸の宮島 黒松)・・・(特別名勝 天橋立) ● 「日本の道100選」顕彰碑 府道「天の橋立線」は、昭和62年8月10日の「道の日」に建設大臣から日本の特色ある優れた道 路と認められ、「日本の道100選」の一つとして顕彰されました。 この府道「天の橋立線」は、日本三景の一つ天橋立の中を通る道路であり、周囲の景観との調和 を図るため砂利道のまま管理しています。 道路の幅員は3.5mから5.5mで、沿道には大小約7,000本の黒松が続き、白砂にふちどられた天 恵の景観を有するとともに、数多くの史跡や物語を秘め、美しい風光を保ち、地元の人々はもとよ り、全国的にも多くの人々から愛され親しまれています。 京都府 ● 九世戸の松 大天橋と小天橋との間に位置する松で、この地を昔から「九世の戸」と称している。 ● 浪切(浪関)地蔵 大天橋畔に立つ石の等身地蔵で、その昔海から大きな波が押し寄せ、村人たちは山の方へと皆 逃げたところ、この地蔵様の所で大波が止まり、村人を救ったという言い伝えが残っています。 村人たちは感謝し、地蔵様は今なお大切に祀られています。 * (九世戸の松)・・・(浪切(浪関)地蔵) (全景は、パノラマでご覧ください) ● (入口へ) ● |