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<< 岩船地蔵方面へ−→由木城跡入口−→六地蔵−→岩船地蔵−→書院−→ −→大石源左衛門尉定久公墓所−→放光地蔵−→金麟堂 >> ● 岩船地蔵方面へ ● 由木城跡入口 ● 六地蔵(左側) 六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天正)に現れ人々に救いの手を差し伸べるお地蔵様である。 ● 岩船地蔵(左側) 享保4年(1719年)建立。 この世の船頭さんとして人々を正しき道へと導き、此岸(この世)より彼岸(悟りの世界)へと至らしめる ためすべての人々に救いの手を差し伸べるお地蔵様である。 子育て、水子の供養のお地蔵様として信仰されている。 ● 書院(右側・・・本堂裏側) ● 大石源左衛門尉定久公墓所(左側) 武相十郡の太守滝山城主大石定久公の公憤である。 大石定久公在城中に此の地に居館があった。 大石定久公は、高月城主大石定重の子として延徳3年3月23日にお生まれになり幼名を丑丸と申された 長じて、由木と浄福寺に城を持ち、更に大永元年2月、父定重と共に滝山に城を築き大永7年家督を継い で滝山城主となられた。 没後、猿丸峠の頂上に埋葬され(当時永林寺の境内地は平山街道より猿丸峠まで)文化8年(1811年)永 林寺二十五世住職によって、此の地に改葬された。 定久公の墓石の両側には、家臣(後に北条家の家臣)の墓が連なっている。 天文18年2月7日没 行年58歳 戒名 当寺開基 久彰院殿英巌道俊大居士(くしょういんでん えいがん どうしゅん だいこじ)霊位 ● 放光地蔵 ● 金麟堂 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |