(5)大石源左衛門尉定久公墓所

                              



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  ● 岩船地蔵方面へ


                     



                             



  ● 由木城跡入口


                             



  ● 六地蔵(左側)
       六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天正)に現れ人々に救いの手を差し伸べるお地蔵様である。


                



  ● 岩船地蔵(左側)
       享保4年(1719年)建立。
       この世の船頭さんとして人々を正しき道へと導き、此岸(この世)より彼岸(悟りの世界)へと至らしめる
       ためすべての人々に救いの手を差し伸べるお地蔵様である。
       子育て、水子の供養のお地蔵様として信仰されている。


                               



  ● 書院(右側・・・本堂裏側)


                          



  ● 大石源左衛門尉定久公墓所(左側)
       武相十郡の太守滝山城主大石定久公の公憤である。 大石定久公在城中に此の地に居館があった。
       大石定久公は、高月城主大石定重の子として延徳3年3月23日にお生まれになり幼名を丑丸と申された
       長じて、由木と浄福寺に城を持ち、更に大永元年2月、父定重と共に滝山に城を築き大永7年家督を継い
       で滝山城主となられた。
       没後、猿丸峠の頂上に埋葬され(当時永林寺の境内地は平山街道より猿丸峠まで)文化8年(1811年)永
       林寺二十五世住職によって、此の地に改葬された。
       定久公の墓石の両側には、家臣(後に北条家の家臣)の墓が連なっている。
         天文18年2月7日没  行年58歳
         戒名 当寺開基 久彰院殿英巌道俊大居士(くしょういんでん えいがん どうしゅん だいこじ)霊位


                   



                          



  ● 放光地蔵


                            



  ● 金麟堂


                          



                         



                         




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                                 ● (入口へ) ●


  

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