(浜離宮恩賜庭園HPからお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 海手お伝い橋−→海手茶屋跡−→中の橋−→富士見山−→ −→観音堂跡−→お伝い橋−→中島の御茶屋 >> ● 海手お伝い橋 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 海手茶屋跡(うみてちゃやあと) 宝永4年(1707)のとの6代将軍徳川家宣が船遊びや漁夫達の漁猟のようすを眺めるために建てた休 憩所です。 また公家達や大奥の女中たちが浜辺で遊ぶときの基点となったと思われます。 最も海の眺望に恵まれた場所に建てられたので、この名前がついたようですが、別名も海にちなみ 「汐見の茶屋」であります。 大正12年(1923)9月1日関東大震災により焼失しました。 ● 中の橋が見えてきます。 * (対岸から) ● 中の橋が見えてきます。 ● 中の橋の上から左側を見ると中島の御茶屋、正面に御亭山、振り返ると富士見山がみえます。 * (正面に御亭山が)・・・(振り返ると富士見山が) * (中島の御茶屋)・・・(左側)・・・(右側) (全景は、パノラマでご覧ください) ● すぐそばに「富士見山」が。 ● 馬場方面に行くと、「観音堂跡」が。 江戸時代、この奥に「観音堂」や「鐘楼道堂」がありました。 ● 戻っていくと、お伝い橋わきに水門が。 ● お伝い橋を渡り、「中島の御茶屋」方面へ。 * (中島の御茶屋)・・・(振り向くと) (全景は、パノラマでご覧ください) ● 中島の御茶屋 御茶屋とは、江戸時代の大名庭園等に設けられた園遊接待のための施設です。 宝永4年(1707)のちの6代将軍徳川家宣が建設したもので、室内からの眺めが素晴らしく、最も立派 な御茶屋でした。 別名「狎鴎亭/こうおうてい」とも呼ばれていました。 享保9年(1724)大災のため焼失し、64年後の天明8年(1788)11代将軍家斉の治世に再建されました 明治維新後皇室の離宮となり、しばしば国賓等も迎えましたが、昭和19年(1944)11月29日第2次大 戦の空襲により焼失しました。 その後、昭和58年(1983)財団法人日本宝くじ協会の助成事業として再建することができました。 木造平屋建入母屋造り一部寄棟銅板葺161.5m2 霞台78.3m2 ここでは抹茶セット(有料)を楽しめます。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |