(18)末社・・(16)氏子御輿庫・・(23)稲荷参道 (画像をクリックすると大きくなります) |
<< (18)末社−→狛犬−→神饌所−→(16)氏子御輿庫−→(23)稲荷参道 >> ● (18)末社 左に「山王稲荷神社」、右に「猿田彦神社」・「八坂神社」がお祀りしています。 * (山王稲荷神社・・御祭神/倉稲魂神) * (猿田彦神社・・御祭神/素盛鳴神 八坂神社・・御祭神/猿田彦神) ● 狛犬(千代田区指定有形民俗文化財) 指定 平成12年4月 日枝神社の境内社、山王稲荷神社の本殿と、八坂神社・猿田彦神社両社を合祀した本殿の前に、 一対の石製狛犬があります。 幅55cmほど、高さは70cmほど、台座部分を含めても大人の背くらいの高さです。 像の台座には「奉献」「文政3庚辰年6月吉日」「南伝馬町三町目」「家主中」などと陰刻の銘文があ り、向かって右側の像には「植草重左衛門」ほか10名と「地形方抱三右衛門」「石工 新川勘兵衛」 な名前が、また同様に向かって左側の像には「亀田左兵衛」ほか11名の名前が見られます。 この他に左側の像の中段台石外側の側面には「明治34年9月 自神田神社境内移之 南伝馬町三 ヶ町」などと年代の異なる銘文も刻まれています。 以上のことから、この狛犬はもともと文政3年(1820)に、当時神田神社境内に鎮座していた南伝馬町 天王社に奉納されたものであることがわかります。 しかしその後、明治18年(1885)2月13日未明に神田神社周辺で起きた火災ににより天王社本殿そ の他が焼失した後、南伝馬町の氏子たちは、新たに日枝神社境内に鎮守として祇園社を勧請しま した。 その時点では、おそらくこの狛犬は未だ神田神社境内に現存していたのであり、16年後の明治34 年(1901)に石製燈籠などその他の南伝馬町天王社の由来する旧来の石造物とともに日枝神社境 内に移転、再設置されたと思われます。 この狛犬は、千代田区内に現存する狛犬としては、すでに文化財指定した二例「平河天満宮狛犬 =享和元年(1801)、再建嘉永5年(1852)」「築土神社狛犬=安永9年(1780)」と同様、江戸時代の 銘文をもつものであり、区内においては貴重な文化財です。 そして、江戸時代から明治時代にかけての人々の信仰の一端、特に日枝神社及びその境内社で ある八坂神社と神社周辺の人々や南伝馬町の人々との関わりを、私たちに語りかけてくれている のです。 平成13年3月 千代田区教育委員会 * (山王稲荷神社本殿)・・・(八坂神社・猿田彦神社を合祀した本殿) ● 神饌所 神様にお供えする物を調理する所。 ● (16)氏子御輿庫 * (八重洲一丁目東町会)・・・(日本橋通三丁目會)・・・(京橋二丁目西/寶町三丁目) * (京橋二丁目東)・・・(京橋三丁目町會)・・・(西八丁堀二丁目) * (銀座一西一/銀座二西二)・・・(日本橋江戸二町會)・・・(日本橋通二町會) ● (23)稲荷参道 稲荷参道を下り「山王鳥居」方面へ。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |