(2)随神門→神楽殿

                              


         (4)随神門   (5)/神楽殿   (6)手水舎   (8)冨士夫婦檜   (7)富士太郎杉


                        (画像をクリックすると、大きくなります)
  

      << 4/随神門−→5/神楽殿−→6/手水舎−→8/冨士夫婦檜−→

                  −→7/富士太郎杉−→社務所−→祓戸−→幣殿拝殿改修工事趣意書 >>

  ● (4)随神門(市指定文化財)
       元文元年(1736)の建立。
       永正17年(1520)の銘のある随神像が存在することなどから、村上光清らにより新たに再建されたも
       のと推定されます。
       彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物で、屋根裏天井により演出される広がりのある空間と太い柱は
       参詣者に豪壮な雰囲気を与え、当社の入口を飾るに相応しい門です。

                  


                


                  


                          


    * (神楽殿方面から)

                  


  ● (5)神楽殿(市指定文化財)
       本殿の正面に位置し、本殿に向かって神楽を奉納することになります。
       元文元年(1737)に村上光清を中心とした富士講中による境内建物大修理の一環で建立。
       神社の祭礼には地元の神楽講により太々神楽が奉納されています。

                  


                          


                  


   * 神楽殿 正面

                  


                  


   * 神楽殿 正面右側

                          


                  


   * 神楽殿 正面左側

                  


                  


  ● (6)手水舎(市指定文化財)
      水舎高札
        此の水は、此処から東南1.6キロへだった富士の裾野に湧き出る泉瑞と称される霊水を伏樋でひい
        たもので往古から當神社の御供水として用いられ、夜増の水といわれる飲料水です。
        伝えに、昔右大将 源頼朝が富士野巻狩をされた時、裾野十数里の間、飲むべき清水なく士卒渇
        に苦しんだので、公は富士の山神に祈り鞭をあげて巌を掘った処、麗水滾々として湧出したという
        これはこの水であり、清く澄冷たいこと正に天下無類といわれております。
        水盤(縦193糎 横283糎 高さ110糎)は一箇石であり、御水舎(江戸時代中期延亨3年約245年前)
        は、四石柱支えによる雄大荘重比類稀な建築だと称されています。

                      


                  


                  


  ● (8)冨士夫婦檜(市指定文化財)   平成4年9月1日指定
          所在地 富士吉田市上吉田5558番地   所有者 北口本宮冨士浅間神社
       この木は2本のヒノキが根元で1本になり、また地上約12mで再び合着していることから「冨士夫婦
       檜」と呼ばれ、広く市民に親しまれている。
       根張りが著しく発達し漏斗を伏せたような形になっており枝は上部で四方によく伸びて大変見事で
       ある合着木ではあるが、県下で最大のヒノキの巨樹であり、市内の代表的な巨樹である。
       大きさは次のとおり。
         1露出根張り 17.0m   2幹根境の周囲 8.7m
         3地上から幹根境までの高さ 1.7m   4目通り幹囲 7.65m   5樹高 33.0m
         6枝張り  東8.5m  西8.9m  南7.6m  北8.3m
                  平成5年3月   富士吉田市教育委員会

                     


  ● (7)富士太郎杉(山梨県指定天然記念物)    昭和33年6月19日指定
          所在地 富士吉田市上吉田5558番地    所有者 北口本宮冨士浅間神社
       本樹は樹齢千年くらいと言い伝えられている。
       根張りが著しく発達し漏斗を伏せたような樹形は、ご神木の名に恥じない荘厳さがあり本殿を見守る
       かのようである。
       「富士太郎杉」と呼ばれ、広く市民に親しまれている。
        南側付近の損傷部分は、昭和34年8月の7号台風により被害を受けたものである。
       山梨県を代表するスギの巨樹として、山梨県の天然記念物の第1号に指定された。
       大きさは次の通りである。
         1露出根張り 21.0m   2幹根境の周囲 12.7m   3目通り幹囲 8.2m
         4樹高    30.0m    5枝張り  東西 12.8m  南北 14.7m
                      平成11年3月  山梨県教育委員会 富士吉田市教育委員会

                     


        


                          (全景は、パノラマでご覧ください)
  ● 社務所

                  


  ● 祓戸(はらえど)

                          


  ● 幣殿拝殿改修工事趣意書
       本神社の発祥は古く太古へと遡り 人皇12代景行天皇40年の御代(約1890年前)日 本武尊の御巡
       幸を起源としています。
       以来 霊験灼たかな本神社は甲斐国守を始め広く民衆に至るまで崇敬を集め中世に起る冨士信仰
       は関東を始め全国に拡がり 殊に近世の平和社会の確立と共に江戸に八百八講と云われた富士講
       は隆盛を極め 豪壮優美な建築様式及び拝礼設備を整え 以後先人に依って連綿と護持継承がな
       され 現在に至って居ります。
       弊殿拝殿は享保18年から元文3年(1733〜1738)にかけて江戸の本願として 村上光清師によって
       本殿と共に修造されたもので 本殿の桃山建築らしい華やかさに合わせるように建立され 大虹梁
       等を用いて見通しの良い広い参拝空間が造り出され 千鳥破風向拝に唐破風を付け獅子鼻の上に
       獏鼻を重ね大瓶束の左右には 龍獅子等の彫刻で埋め尽くされ賑やかであります。
       海老虹梁 水引虹梁には植物模様の渦 この植物彫刻は彫りが深く 江戸中期 その時代の建築
       としては斬新であります。
       然し乍ら建立より260年の歳月を経て建物の歪み 腐り雨漏り等日増しに老朽化は進み 更に先年
       の雪害によって陥没等著しく損傷を来し猶予少なく 一日も早い保存修理が必要であります。
       つきましては この大事業に当面し 先祖達の尊い精神的営みとして信仰を集め護持継承がなされ
       て来た 偉大 御神霊の鎮座坐します
       この御社殿を未来永劫に伝え  の為には 只々皆様方のご懇情に頼るほかございません。
       何卒 この苦境をご賢察賜り 弊殿拝殿が麗しく 竣工と相成りますよう切にお願い申し上げます。
         弊殿拝殿建物の概要  弊殿 桁 7間4尺   梁間 3間2尺   
                        拝殿 桁 12間2尺   梁間 7間4尺
         事業の内容   弊殿拝殿の保存修理並びに付帯事業    北口本宮冨士浅間神社

                          


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●



HTML Builder from Excel   作成:QQQ