(3)宇賀神堂→北向稲荷大明神

                         

(飯盛分店HPよりお借りしました)
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   ● 宇賀神堂
        五穀豊穣の神、宇賀神をお祭りしてます。
        寛文年間に巌島神社の傍社として建立され、社殿は桁行3間、梁間2間、入母屋、銅板葺き
        戊辰戦争で飯盛山で自刃した白虎隊19士の霊像が安置しています。
        霊像は明治23年(1890)、白虎隊の墓碑を改修した際、大橋知伸(若松城下滝沢村出身の仏師)
        田中治八によって製作されたものでフランス風の洋服(軍服)を着ています。

                  


            白虎隊ただ1人の蘇生者飯沼貞雄氏(幼名貞吉)は嘉永6年若松に生れ蘇生後逓信省に
            任え技師となり退官後は仙台市に住んでいたが昭和6年2月12日79才で没した

    * (右画像/飯沼貞雄氏)

                      


   ● 北向稲荷大明神
        さざえ堂の脇、白虎隊十九士之霊像の向かいにあります。

                  


   ● 飯盛本店の脇を通り、白虎隊霊場方面に向かいます。
       飯盛本店
          食堂と沢山の土産を販売しています。またお店から鶴ヶ城が望めます。

                           


   ● 水塚、花塚、茶筅塚
        山口儀平翁は明治初年における会津茶道の大恩人である。
        山口翁は茶は石州流を森川善兵衛に、花は遠州龍を水戸の景松斉に学ばれ、山口一寿と号して
        市内多数の門下生の指導訓育に当てられた
        明治26年当時会津第一の学者であった宮城盛至翁と計られて飯盛山上に水塚、花塚、茶筅塚を
        建立された。
        三つの塚の中心をなす花塚は、北は北海道、南は九州と全国各地から夫々特色ある243種の花
        を集められて、これを塚の中に丁重に収め天地自然の恩恵に対し、深い感謝の意を表されたもの
        である。

    * (水塚)・・・(花塚)・・・(茶筅塚)

                         



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                               ● (入口へ) ●

 

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