(4)白虎隊十九士墓→自刃の場 |
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● 会津 飯盛山 白虎隊士19名の最期の地となった飯盛山。 戊辰戦争のおり、16〜17歳の少年達で編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場 から退き、戸の口洞門をくぐり飯盛山に辿り着きました。 炎上する城下を前に、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は 主君のために殉じよう」と、一同列座し南鶴ヶ城に向かって訣別の意を表し、全員が自刃しま した。 1人だけ生き残った飯沼貞吉により、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるとこ ろとなりました。 なお鶴ヶ城開城はその一ヶ月後であった。 春と秋の年2回行われる慰霊祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。 名前の由来 飯盛家は、今から600年程前からこの会津の飯盛山で神仏混合の神社と寺をやっています。 飯盛山という名前は、この飯盛さんの山なので飯盛山という名前になっているそうです。 ● 旧正宗寺三匝堂(さざえ堂) 「さざえ堂」の通称があり、高さ約16.5mで初層真径約6.3mの六角形平面に回縁を付け、正面には 唐破風の向拝を付している。 正面から入ると右回りに螺旋状のスロープで登り頂上の太鼓橋を越えると降りの左回りスロープと なって背面出口に通じる。 昇降を通じて建物内を三度回ることになるところから三匝堂の名がある。 スロープの内側に沿って西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになる という、いわば江戸時代における庶民のための身近な巡礼の建物であった。 「新編会津風土記」には「円通三匝堂」とみえ寛政8年(1796)の造立と記され、また会津若松の実 相寺の僧郁堂の建立とされている。 仏堂建築としては、他に例を見ない特異なもので6本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使し て二重螺旋のスロープを造り上げた考案者である郁堂と棟梁の創意と技術には大きな意義がある 営業時間・・夏季8:15〜日没 冬期9:00〜日没 拝観料・・・大人400円 大学・高校生300円 小・中学生200円 * (白虎隊自刃の場)・・・(旧正宗寺三匝堂/さざえ堂) ● 案内コース (1) 霊牛神堂−→彰徳碑−→子育地蔵尊−→忠魂碑−→厳島神社−→ −→戸ノ口堰洞窟−→手水舎−→落合水尾句碑/浮野−→白虎清水観音 (2) さざえ堂 (3) 宇賀神堂−→北向稲荷大明神−→売店−→水塚、花塚、茶筅塚 (4) 白虎隊 十九士墓−→少年武士慰霊碑−→松平容保公弔歌の碑−→ −→ローマ市寄贈の碑−→白虎観音−→石碑(嗚呼 忠烈白虎隊)−→ −→石碑(郡上藩 凌霜隊之碑−→飯沼貞雄翁記念碑−→ −→飯沼貞雄翁の墓−→白虎隊自刃の場 ● アクセス バス・・まちなか周遊バス『飯盛山下』下車徒歩2分 車・・・会津若松ICから15分 上記右の画像に、市営駐車場(無料 24時間利用可能)を記載しています。 ● 飯盛山スロープコンベア 営業時間 (3月21日〜12月21日) 午前 8時〜午後5時 (12月21日〜3月20日) 午前10時〜午後3時 *冬期間は、豪雪時などで運休する場合も。 料金 大人250円 小人150円 飯盛山・白虎隊のお墓への参拝に利用できます。 (飯盛分店HPを参考にし、マップをお借りしました) 近くに 鶴ヶ城・・五色沼・・吾妻小富士・・桶沼・・大内宿・・塔のへつり があります (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |