●城峯山 山頂には一等三角点と電波塔があり、この電波塔の下部が展望台となっています。 展望台からは360度が見渡すことができ、「眺望のよい山」として知られています。 ●伝説悲劇の城峯物語(将門伝説) 関八州を平定し、その後下総の野に敗れ、この山に城を築き、名を幡武山石間城と名付け、そ れまで石間ケ岳といっていた。この山に城ができると里人も城峯山と呼ぶようになりました。 そこで下野田(栃木県)の豪族、藤原秀郷が兵を引き連れ、今の吉田小学校の高台に陣を張り にらみ合いになる。 このころ、将門の愛妻、桔梗はときどき城を抜けて、いずれかに姿を消すのを知り、将門は桔梗 が秀郷に内通したものと思い違い怒って桔梗を斬りすてました。 無実の罪で斬られた桔梗の亡霊は落城後も消えず、秋の草花は数々咲くが、桔梗の花だけは 今も見ることができません。 ”秋の七草うすむらさきの花の桔梗がなぜ足りぬ 城峯昔の物語” (秩父小唄) ●将門の隠岩/伝説 今を去る一千有余年前第六十一代朱雀天皇の御代平将門は叔父の国香を殺して下総の猿島 に館を構え平親王を名乗った。 これに対し朝廷側は藤原忠文を征夷大将軍に任命し下野の豪族藤原秀郷により将門討たせた 戦に敗れた将門は一族と共に落ちのび、関八州を一望に収める城峯山に城を築きました。 一方秀郷もまた将門を追って下吉田村に入り、鶴ヶ窪城(現在吉田小学校)を築き、激しく攻めた てたが、地の利の勝る将門はこれを一歩も寄せつけなかった。 ほとほと弱りはてた秀郷は或る日椋神社に賊徒平定の祈願を した所、その夜半鼠の大群が城峯山に押し寄せ、一夜の中に鎧兜の紐をばらばらに喰いちぎっ てしまった。 時を逃さず一挙に攻めたてて破った。 岩窟に隠れ再挙を図った将門も影武者七人と共についに捕らえた。 秀郷は将門がいるのか逃げ延びたのかに迷ったが、将門の愛妾桔梗の前を捕らえて拷問した ところ、ついに耐えられず自供するに、食事の時髪の毛の著しく動く人が将門なりと。 この時将門を怒らせ、歯軋りして桔梗を睨み"桔梗あれども花咲くな"と言って果てたという。 万民上下の区別なく悠久理想の国造りを志し雄国空しく花と散った将門を惜しんで、今なお人 の葉の口から口へと語り伝えられております。 吉田観光協会 ●一等三角点のある山 三角点とは三角測量によって水平位置(緯度・経度)の求められた点で測量の基準となってい ます。 一等三角点は明治21年陸地測量部が新設され、日本の基本図として1/50,000地形図を作成 するにあたってその骨格となる三角網を設定する為に造られました。 埼玉県内には一等三角点が11箇所設置されており、山岳地帯では、三宝山(2,483m)、雲取山 (2,018m)、堂平山(876m)、物見山(375m)、城峯山(1,038m)の5箇所となっています。 そのうち城峯山頂からは、三宝山・雲取山・堂平山を見ることができます。 ここから見える男体山、袈裟丸山、赤城山(地蔵岳)、武尊山、子持山、谷川岳(一ノ倉岳)、 榛名山(榛名富士)、赤久縄山等にも一等三角点が設置されています。 どの山でしょうか。地図を拡げて調べてみましょう。 環境庁・埼玉県 * (将門の隠岩/伝説)・・・(将門の隠岩/伝説)・・・(一等三角点のある山) (アクセス) 沢山コースがあります。 「城峯山キャンプ場コース」に記載してありますので参考にしてください。 またハイキングコースも 「表参道コース」・「南尾根コース」・「石間峠コース」・・沢山あります。 (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |