(画像をクリックすると大きくなります) |
<< 玄関−→広間−→時刻の大太鼓−→三の間−→二の間−→次の間−→御書院上の間−→中庭 >> ● 御殿入口を入ります。 ● 玄関 藩主、城代が使用することができ、藩士は別の玄関や土間から出入りしました。 ● 玄関を入ると御広間です。 御広間 城主や家老など身分の高い人達の玄関にあたります。 南下の板敷きは弐台で城主等の駕籠をつけた所です。 * (刀掛台/静岡市葵区梅ヶ島 葉山理一氏寄贈) * (重要文化財指定書) ● 掛川城における時報について (江戸時代の時報は基本的に一日を十二分し午前0時を基点として 十二支を当てはめ、太鼓や鐘を打って知らせました) 子「ネ の刻」=午前0時・・9回 午「ウマ の刻」=午後0時・・9回 丑「ウシの刻」=午前2時・・8回 未「ヒツジの刻」=午後2時・・8回 寅「トラの刻」=午前4時・・7回 申「サル の刻」=午後4時・・7回 卯「ウ の刻」=午前6時・・6回 酉「トリ の刻」=午後6時・・6回 (明け六つ) (暮れ六つ) 辰「タツの刻」=午前8時・・5回 戌「イヌ の刻」=午後8時・・5回 巳「ミ の刻」=午前10時・ 4回 亥「イ の刻」=午後10時・ 4回 時刻の大太鼓 安政2年(1855)8月、当時掛川藩の藩主であった太田氏により、時間を告げることを目的として制 作されました。 この太鼓によって時間を告げるという慣習は、明治の中頃まで続いています。 平成4年太鼓の張り替えがあった際、胴内に文字が発見され、これにより、大正4年(1915)/大正 15年(1926)/昭和41年(1966)に張り替えが行われたことが明らかになりました。 直径90cm 長さ100cm 胴回り333cm 樹齢約600年のけやき ● 三の間 城主や家老に用向きの場合、この間に通され用件を済まします。 用件によっては、御二の間や次の間に通される場合もあります。 * (打掛/寄贈 国際交流センター) ● 御二の間 三の間で処理できない要件など、より重要な事柄を取り扱った部屋です。 * (御入側折廻し) ● 次の間 城主と謁見できる身分の高い者だけが通された部屋です。 ● 御書院上の間(大書院) 城主が藩の政治をつかさどった公的な部屋です。 御書院の掛け軸 この掛け軸は太田家の家老であった太田資逢う(すけあつ)が書いたものである。 習字の先生「太田竹城」掛川の人、名は資逢、竹城と号す。 旧藩主太田候に仕えて家老職となり経書に通じ、小島成斉に入門して書道を能くす。 廃藩後も掛川に住し、家塾を開いて教授した。 その門人数百人に及ぶという。 明治35年東京で没す。年82才。 掛け軸の「虎」の字は、「難字・異体字典」によると、虎の異体字には、次のような字がある。 ● 中庭 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |